なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

28年間シャワーを毎日浴びてきて、実は体の洗い方を間違っていてめちゃくちゃ汚いまま毎日を暮らしていたかもしれない可能性について

読むのが遅すぎて自分でドン引きしたので、障害支援室(Disability Office)から保険適用の紹介状を得て、3000ドルの「神経・心理・学習能力検査」を受けました。丸一日朝から夕方まで検査をして、さらにその前後で半日の検査を2回やるという、人間ドック状態。いわば脳みそドック。その結果が先日返って来た。

無数の項目に分けて、自分の脳みそのデキが数字で評価されてる。100項目くらいありそう。アメリカではPercentile(パーセンタイル)という尺度がよく用いられるんですが、これは要するに100人の平均的な集団の中で自分が下から何番目に立ってるかを示す数値で、もし40パーセンタイルなら下から40番目(つまり上から60番目)、70パーセンタイルなら下から70番目(つまり上から30番目)ということです。この検査結果も、100個くらいありそうな各項目ごとにパーセンタイル表記がされていて、「ストーリーを聞いて覚えて再現する力 ー XXパーセンタイル」「決められた時間の中で1桁の計算をできるだけ早く解きまくる力 ー YYパーセンタイル」みたいな感じでめちゃくちゃ個別的です。

その中で、肝心の「言語を理解し操る力」系のいろんな細かい項目と、それとは別の「決められた時間の中で文章を読んで理解する力」系のいくつかの項目がある。言語を理解し操る力は、母語じゃないのに結構いいとこまで行ってる。一方で、時間内に文章を読んで理解する力が、驚異の数字を出しました。読むスピード「1パーセンタイル」でした。1というのはつまり、100人の平均的な(代表的な)集団の中で下から1番目、ということです。1番目というのは、万一よくわからない人のために説明すると、その下には誰もいないということです。これでもピンとこない人のためにもっと丁寧な説明をすると、「100人の平均的な(代表的な)集団」というのは概念的な装置に過ぎず、要するに社会全体の中で下からどれくらいの位置にいるのかということを意味してるので、これはつまり社会の中で一番ドンベやということです。しつこくまだ説明すると、1パーセンタイルというのは、そもそもの「パーセンタイル」尺度の発想からしてなかなか叩き出せる数字じゃないんです。だいたい30〜70パーセンタイルに落ち着くのが普通で、めっちゃ良ければ90パーセンタイルとか、めっちゃ悪ければ10パーセンタイルとかになります。

さて。これでもそれなりの大学に入って、勉強もそこそこうまく行って、いろんな知的な壁を乗り越えて来たつもりなんですが、それがここに来て社会のドンべとは、これはまたドン引きするしかない。ドン引きから始まってドン引きで終わる。

思い返せば中学生の頃から、いつも読むのが遅くて悩んでた。学校の授業中に一斉に教科書の一節を読むときなんかは、みんなが読み終わった時には自分はまだ真ん中あたりで、先生と学生一同の「もうこんだけ時間とったらさすがに全員読み終わってるやろ」みたいな視線が何度も胸に刺さった。行き帰りの電車の中で本を読むにしても、全然読み終わらへん。親とか身近な人が、次から次へと苦もなく本を読破し続けてるのを見て、何か違うワールドが広がってるとしか思えへんかった。今思えば、その頃試した「1分で100ページ読める速読術」みたいな本は、てんでお門違いやったということですな。1分で100ページ読む前に、10分で1ページ読めるようになりましょう。大学に入ってからも、望む分量の本を読めたことは一度もない。最初の5ページくらいだけ読んで、後は時間がなくて挫折するか、人生を賭して1冊を読破しキリマンジャロ登頂に匹敵する達成感を味わうか、そのどちらかやった。したがって、これまでに読破した本というのは数えるほどしかない。数える程しかないとは言っても、幸い28年も頑張って勉強の方面に生きて来たおかげで、両手両足ではギリギリ数えられへんくらいの本は読んだと思われる。ところが両手両足でギリギリ数えられへんくらいの読書量では、周りに跋扈している本気の研究者の卵たちとは全く勝負にならないので、いつも自分は知識量的に周回遅れの状態やった。話を合わせて誤魔化すテクニックは、芸能方面や音楽方面に全く明るくないおかげで世渡りとして少し身につけたので、学術方面でもこのテクニックを生かして世を渡って来たと思われる。思い返せばこれについても、自分は芸能方面にも音楽にも詳しくなくて周りの会話についていけへんくて、その代わりにいつも勉強ばっかりしているような気がして仕方ないのやが、それやのに勉強方面の知識量的にも他の人より周回遅れなのは困ったなぁ、おかしいなぁ。とよく思ったものです。2回ドン引きした今となっては、これも自然な成り行きです。

知識への好奇心だけは人一倍なので、気になる本を見つけるたびにすぐ買ってしまう。結果的に、本棚は読むのが追いつかない本が山積みに。買って読まないんじゃなくて、買って読もうとするけど全然追いつかない。なんせ英文の場合、1時間に3ページしか進まないんです。和文の場合、10ページくらいやろうか。この数字だけ見ると、和文の方がまだちょっと早いように見えるけど、でも実は日本語と英語では同じ文章量が食うページ数が違うので、結局実は同じくらいの速さなんじゃないかとも思えます。(英語の本を翻訳すると、大抵3倍くらいの分厚さになる。)

それにしても1パーセンタイルって。1というのはつまり、100人の平均的な集団の中で下から1番目、ということです。1番目というのは....と何度でも言いたくなりますがやめておきます。名前があるんかどうか知らんけど、どう考えても一種の障害やと思われる。28年生きて来て、なんでこのタイミングで発見するかなぁ。もっと早くに気づいてれば、いろんなことができたのに。自分は人よりちょっと読むのが遅いんやなぁ、くらいにしか考えたことがなくて、まさかここまでの劇的な差があるなんて想像したこともなかった。読むのがちょっと遅い分、人よりちょっと多めに努力しなあかんのやなぁ、くらいにしか考えたことがなかった。読書って、基本的に一人で行う孤独な取り組みやから、何かの特別な機会がない限り、読書してるその瞬間の状況を他人と比較することがない。読破する本の冊数が人と違っても、ちょっと別のことをしてて忙しかったからかなぁ、とか、あの人は最近特に読書に入れ込んでるから、とか、そういう別の理由をいくらでも考えついた。結果的に、28年間一度も、自分が障害を持ってるなんて考えたことがなかった。

一人で行う孤独な取り組みといえば、他にどんなことがあるやろう。トイレとシャワーやな、まず。実はトイレの仕方が人と劇的に違うかも知らん。みんなトイレをどうやってやってるんか、一度話し合うことも重要やと思いますよ。ある時にトイレのやり方検査を受けて、全く想像したこともなかったような自分の障害に気づくかも知らん。シャワーも同じ。体を洗って綺麗にしていると思ってたその基準が、人と全く違うかも知らん。実は自分だけめっちゃ汚いかも知らん、お尻も体も。みんなよく気をつけてください。これはなんという説得力のある注意喚起なんや。

あんまり清潔じゃない思い出語りはそれくらいにして、これからどうするかについても書きます。今、障害支援室の人が、外部の専門家に相談してくれています。その相談結果を踏まえて、僕自身と障害支援室との間で、学科に対してどういうお願いをするかを決めていく。それが可能なのかどうかはこれからの話し合い次第やけど、一番現実的な対応方法は、学期ごとの授業数を減らして、その代わりに2年のコースワークを3年に引き延ばすことかなぁ。それをすることは、それなりにいろんな含意があるので、いとも簡単に決定できる性質のものではないはずですが。

ただ学校の制度的に特例の対応が可能やったと仮にしても、この先長い目で見て、研究者としてやってくことは相当難しいと思わざるを得ない。読んでもいない本の内容についてハッタリをかまし続ける大学教員は、一種の大道芸みたいなものでまぁ面白いから世の中に存在しててもいいとは思うが、できれば誰か別の人にお願いしたい。かといって大学教員以外の道を探すとしても、ちょっとでも自分の知的好奇心を満足させてくれるような知的な職業に就くとしたら、どうしても本を読むという基本作業が仕事に入り込んでくる。物書き然り、ジャーナリスト然り。前やってた仕事みたいに行政の仕事とか、NGOみたいなプロジェクト系の仕事とか、そういうものしか残らんくなるなぁ。完全なビジネスをやるというアイディアも昔からあるが、なかなか一歩が踏み出せずにいるし、そもそも向き不向きでいうと不向きであることが間違いない。とりあえず今この瞬間は、参ったねぇ、としか言いようがありません。とりあえずもうちょっと参っておいて、障害支援室のパワーを見守りつつ、いろいろ考えていこうと思っているところであります。

その間、毎週カウンセラーのお世話になって精神の崩壊を防いでおります。この大学のリソースはやっぱり半端ない。週1回のカウンセリングが全てタダというのは、それだけでも莫大なお金をもらっているに等しい。おかげで無事です。このいう事態に直面したのが、この特定のお金持ちの大学にいる時でよかった。

大統領選挙とアメリカと人種と苦しみ

ものすごい更新頻度やけど、まだまだ書きたい。

選挙の日、24時前まで図書館で勉強していた。かなり早い時間から、周りには人がいなくなっていった。普段ならまだ何人も座ってるのが見える時間帯。開票結果を中継テレビで見るパーティがキャンパスのそこら中で展開していて、誰にとっても勉強なんかしてる場合じゃなかったんやろう。僕も勉強しながら、フェイスブックでかなり頻繁にライブ映像を確認する。22時か23時頃から、雲行きが怪しくなって来た。24時前、図書館を出る。ほんの1人か2人としかすれ違わへん。ずらっと並んだ自習室の机には、見える限り一人も座ってない。初めて見る光景。図書館を出て、自転車の鍵を外すあたりまで、まっすぐ家に帰るつもりでいた。疲れてるし、そもそもまだ勉強が終わってへん。鍵を外しながら、やっぱり人類学科の観戦会に顔を出して見るべきな気がしてくる。大統領選はアメリカ滞在中に多くても2回しか経験できひんやろうし、そもそもいまの雲行きが現実のものになるなら、一生に一回の事件がいま起きてることになる。

学科に着いてみると、MacノートでSNSを見ながら困惑して罵声を発する学生と、静かに憤る学生と、黙ってスクリーンを見つめる学生が、合計10人くらい。空のピザの箱と、半分くらい空いたワインやウィスキーのボトルと、明日の授業の課題図書。学生が飼ってる犬が走り回る。1時過ぎまでいたけど、僕はほとんど何も言わない。周りの人が怒り、議論し、ささやき合うのを聞いてる。僕が到着してからは、集計に時間がかかってる5州の結果が出そろわず、進展がない。ひっそり佇んだ後、ひっそり去って帰宅した。家で勉強を再開して暫くしたら、結果が出た。フェイスブックを開いたら、ちょうどトランプがスピーチを始める瞬間やって、ライブでスピーチを見る。日本の人と少しLINEでやり取りする。勉強は全然思い通りに間に合わず、諦めて寝た。4時くらい。眠い。

翌日は少し寝坊してから、家を出る。珍しく雨が降ってる。学科の建物に向かって、発表の打ち合わせのために同級生と会う。ヒスパニック系の、心が熱くて優しい人。建物の入り口近くにあるソファで打ち合わせてると、自然といろんな人が前を通る。マイノリティ(クルド)出身のトルコ人。昨晩から一番声高にトランプを弾劾し、選挙結果に悲鳴の声をあげてる。発表パートナーのところに来て、溢れ出るように、選挙結果を悲しみあう弔いの会話をする。ハグをする。涙ぐむ。僕は横で静かにそれを見ている。無限に溢れ出てくる感情を押しとどめるべく、発表パートナーが会話をコントロールして、発表の打ち合わせに戻る。アングロサクソン系の教員が前を通る。まるで学科の人が事故で亡くなったかのような、重い深刻な面持ちで、近づいてくる。昨晩講堂で集まって見ていたこと、心の底から驚いたことなどを発表パートナーとの間で互いに話す。お通夜の声のトーンそのもの。打ち合わせをしていると知って、去っていく。

授業に行く。人が揃い次第、先生がまず口を開いたが、当然選挙のことをまず触れる。触れたかと思ったら、何人かの特に強い思いを持ってる学生が、そこに何重にも乗っかってくる。自然と会話はコントールを失う。なぜこの結果になったか、今後どういう風になって行くかについて、冷静な発言、熱を帯びた発言が重なり合う。10人ほどのクラスのうち、5人程度が喋り、後の5人程度は喋らない。これは普段の授業のディスカッションのときと同じ。選挙についての議論がそのまま1時間続く。僕は何もいわない。議論が続く中で、先生の様子を観察するが、議論を収束に向かわせるタイミングがあるときにも先生は黙って聞いてる。自分から発言して議論を発展させることすらある。今回の発表は学期の中でもとりわけややこしいやつで、仕方なくこの日までに50時間か60時間くらいかけて本を読んで準備して来た。他の授業も仕方なく犠牲にした。3時間弱の授業の時間が延々と削られて行くことに、当然のことと思いつつも、複雑な気持ちがする。

目の前のみんなほどにはアメリカ政治・文化・社会に詳しくないし、深い思い入れもない。国際情勢の一つの(とはいえ重要な)出来事としてしか見れない。と同時に、この国に来て、大学の勉強という制度の面、学問分野を修めて行くという努力の面、ユニークなコミュニケーションの中で生きて行くという文化の面、全ての面において難しさを感じ、悩んで、工夫して失敗して成功しているそのプロセスの真っ只中にいる。その一つの象徴的な出来事として、この大変な発表の準備がある。頭ではその深刻さをよく分かってるつもりのこの歴史的事件と、精神の崩壊のリスクすら現実的なものとしてあり得たこの個人的で生々しい苦労とが、今この瞬間の中に互いを受け入れられなくてせめぎあってる。発表は、準備のおかげでうまく行き、「こんな大変な日に、一体どうやってこんないい発表をできたのか?」と拍手を浴びる。この複雑な心境は誰にも説明できない。自分が抱えてるこの生々しい苦労は、誰にも説明できない。まして、この歴史的瞬間の重要性を軽視するように見られてしまっては、危険すぎる。誰にも迂闊に説明できない。

その日から、人類学科の学生の間でメールがやりとりされ始める。「アメリカ」を失ったことへの悲しみと不信。想いを共有して、ともに時間を過ごし、互いを癒しあうこと。連帯すること。乗り越えること。こんな語彙が無数に飛び交うなんて、想像すらできひんかった。完全なる悪を目の前にした善良なる市民たちの声。でもその悪は、この国のマジョリティが昨日という日、家を出て、投票所まで行って、自分の名前を申告して、人差し指でその意志を選択し表明した結果や。その悪は、自分たち自身の中にある。自分たちの中にある悪と、それを憎み、乗り越えようとする、か弱く善良な連帯する市民たち。この断絶は、一体なんなんや。

もちろん周知のとおり、仕事を奪われたと感じている中流以下の白人労働者が、経済的動機を投票に反映させて、あるいは経済的動機から人種差別的発想を経て投票に至って、トランプ支持に回ってることは事実やろう。この大学みたいなコミュニティは、そういう人たちとは基本的に接触しない世界。トランプ支持が国全体ではマジョリティであろうと、たとえ仮に8割であろうと9割であろうと、このコミュニティみたいな場所においては、トランプを純粋なる悪やと(疑問の余地なく)感じ考える雰囲気は常に可能やろう。実際に今の状態がそうなってる。このコミュニティがトランプを弾劾するとき、自分たちの視界の外には彼を支持した生身の人間がいっぱいいて、その一人一人がそれぞれで生々しい理由と動機をもって投票したんやってことについては、このコミュニティはどういう風に理解してるんやろうか。まずそこに信じがたいほどの断絶がある。

でも中流以下の経済=人種的動機からトランプ支持にまわった人たちの票だけでは、従来のメディア予想通りクリントンの当選になったはず。2日経った今メディアで流れてる解釈によると、要するに選挙の決定打になったのは、中流以上の豊かな白人がトランプに投票したことらしい。白人が非白人を排斥する人種差別が、得票数になって表出した。これはCivil War(人種を巡って国が分断した歴史)の再来なんや。「アメリカを失った」と弔い悲しむこの人たちは、きっと、このことを直感的に理解したに違いない。しかもその排斥のエートスは、投票の瞬間まで沈黙の中に眠ってた。横に座ってる白人の友達は、こっそりトランプに投票したかもしらん。人種差別は、自分と肩を並べて存在してる。もしかしたら自分の中にも存在してる。きっと存在してるに違いない。何も信じられへんくなる。

「人種問題」は、日本で学校で勉強してぼんやり理解していたつもりやったけど、それとは決定的に異なる深みと困難さを伴う問題なんやってことを、こっちに来てだんだんわかるようになって来た。日本人は、アメリカに来たら誰でも同じプロセスを経験するんちゃうやろうか。アメリカは本当の意味で平等の国なんではない。極端に言ってしまえば、アメリカは人種差別の国や。人種差別があるから常に平等を志向するし、常に平等の国として表象する。実際生活してても、自分に向けられた視線が「これは人種差別なんか?」と感じることはある。人種差別がほんまに無くなったアメリカは、もはや平等を志向することも標榜することもないやろう。それと同時に、差別的な人種概念は、常に無限に作られ続けている。この国の人は、必要のないところでなぜか人種に結びつけて思考するし、人種概念には科学的根拠がないと知りながらそれを使用し続ける。人種概念を維持し続けることによって、アメリカは、平等の国であり続けようとしている。

平等の国でありたいという善良な市民たちの希望は、その中に含んでる矛盾した人種差別のことをよく分かってる。その矛盾は敵であると同時に、必要な内在的構造でもある。その矛盾は皮肉にも、自分たちを一つのものとして硬く結びつけてくれる、信念でもある。だからこそ、いま得票数という目に見える形でその差別的構造を暴露された時、この平等への希求を力づくで放棄させられたかのような、無力感、脱力感、絶望感を感じたんやろう。こんなとき、人間は、身を寄せ合う仲間を探し、想いを垂れ流して共感しあい、支え合って連帯することによってしか、乗り越えていくことができひん。

アメリカの断絶は、単に自由経済の勝者と敗者の断絶というだけじゃないんやろう。その社会を成り立たせている基本原理のそのさらに内側に、根本的な断絶が眠ってる。今回の選挙は不幸にも、その深い深い断絶が奇跡的な形で政治的事実として表面に浮かび上がって来てしまった。この国の人らは、それを乗り越える術をまだあんまり知らんように見える。

僕もつらい。辛さを乗り越えようとしてるアメリカ人たちを目の前にして、僕の理性、感情、知識、歴史、繋がり、弱さ、希望、そういったものどれ一つとして、アメリカを作り上げてる事実や原理と絡まりあってるものがない。目の前のアメリカ人に共感したくても、共感のしようがない。目の前に苦しんでる人たちがいて、その人たちに共感したくて、でも共感するすべがなくて、そのくせに、なんで共感できひんのか、何を共有できてないのかがありありとと見えてしまう。一方で目の前の人たちにとっては当然の絶望感やから、こっちがなんで共感できひんのかを説明しようとしても通じひん。通じひんだけならいいけど、トランプ支持やと誤解されたら大変やから、中途半端に伝えようと試みることもできひん。結局、コミュニケーションのしようがない。黙って、見守るしかない。これはいろんな意味で辛い。僕自身が、この中で生きていくことについての無力感を感じる。

中二病についてのノート

とはいえこの中二病についてすごいと思うのは、状況がかなりオープンなことです。毎週書かされる300ワードの「ポジションペーパー」では、僕はいつもこの「モノの人類学」をぼろくそに(とはいえ一応アカデミックな雰囲気のベールの中で)こき下ろしてるんですが、ほかの学生も僕ほどではないとはいえそれぞれでそれなりに批判的なことを書いたりしてます。そして授業のディスカッションでも、学生全体が持ってる「モノそれ自体」への無関心がゆえに話はすぐに逸れて、(モノが媒介してる)人間性や人間同士の関係や人間とモノとの関係について関心が集まりがち。モノそれ自体への関心やその有効性を疑問視する発言もたまにある(自分もその一人。というか、自分がメインか)。こういう状況を受けて先生は頻繁に「先週まではモノそれ自体の物質性や物と物の関係性について、まぁあんまりうまく行かなかったけど、考えましたが、今週は…」という風に言ったり、「また話が逸れてきました。モノについての話へと戻りましょう。それにしても、モノについて話したくないというこの異常なまでの抵抗があるね。ははは。」と言ってみたりする。なかなか自由な雰囲気でよろしい。アメリカらしい。

今日は学科のイベントで他大学の人類学の先生が来て、彼が今書いてる本の一部について発表して意見交換するというセミナーがありました。そこに例のモノ先生も来ていた。内容はモザンビークの政治と歴史みたいな人類学的なトピックやったんですが、図らずも(?)その招聘スピーカーが「モノの物質性とかモノが持ってる力とか、そういうものが非常に重要な要素として浮かんできた。それについて書こうとしています」みたいな話をし始めた。これに反応したモノ先生は、横にいた自分の学生二人(うち一人が自分)のほうを見てニヤニヤしながら、「ほら見てみ」と、したり顔。スピーカーの話が終わって質問セッションに入ると、モノ先生は「モノの力について、という話をもう少し聞かせてくれませんか」と力強く乱入。特に、モノのvibrancyなる概念を(奇妙にも)提唱している特定の学者に言及しながら質問。そうするとこのスピーカーは明確に、「モノそれ自体の力とかvibrancyに注目することはしたくない。なぜならそれをやると人間の主体性が見えなくなるから。モノに着目しているのは単純に、それが人間の関係性や権力関係や歴史や記憶を媒介するからに過ぎない」と、このモノ先生のスタンスを真っ向から全否定するクリティカルヒット。これにはさすがのモノ先生もたじろいで、それ以降ずっと下を向いている。なんともこの先生は、ほんまにいい人なんです。正直で、やさしい。僕が勉強の苦労について相談するときなんかも、ほんまによく親身になって聞いてくれる、すごく優しい人。こういう場面でも、その繊細さがありありと見える。

セミナーが終わって皆が立ち上がって帰るときに、モノ先生「ほら、授業で勉強していることそのものでしょう?授業ではすごい抵抗が起きてるからな。あんなに抵抗が起きるとはぜんぜん予想しんかった」と自分の授業の意義深さを主張。いやむしろ今日のセミナーは、その真逆を示してたんでは??と思った僕は、「いやいやいや、人間のことを知るための道具としては、モノはすごく面白いですよ。僕はそういう立場ですし、今日のスピーカーも同じ立場やと思います」と、やはり抵抗。そうしたらモノ先生が言ったのは、「でも彼はOlder generationだから仕方ない。君は若いから、自分の立場を再検討してみてもいいでしょう?」と。これ自体は良い言明だと思うので、「そうですね。ニコニコ。」と返して穏便に終わりました。ちなみにモノ先生とスピーカーは、とある大学院の博士課程で同級生だったそうです。

モノ人類学には依然としてぜんぜん納得しないけど、いずれにしてもこのモノ先生がやろうとしている取り組みをめぐるポリティックスと、それについて回ってるちょっと可笑しな滑稽さや自由奔放さは、非常に興味深い。教えてもらってる立場でありながら、なんとなく先生と対等に議論をしている感じがあって、楽しいです。それを受け入れるモノ先生の度量は計り知れない。モノ先生恐るべし。

人類学説史を勉強するおもろいやつ、中二病に付き合わされてるホトホトうんざりなやつ、それから方法論を勉強しつつ自分がここにいる意味について考えるやつ

授業は3つあるんですが、一つは人類学の諸学説を(古典を中心に)ひととおりさらうやつ、もう一つは方法論を学ぶやつ、そして最後はちょっと(かなり)変わった特定の理論サブ分野を学ぶやつ。一つ目のやつは先生が非常に上手くて、毎週コロコロ変わっていくテーマの間に見事に関連性が見えてくる。これは非常におもろい。毎週ワクワクする。だいたい読む文献自体が、前から「あぁ、時間があったらこういうのも読みたいのになぁ」と思ってたやつばっかりやから、読んでるだけで普通にテンション上がる。

二つ目は他の学生の間では評判悪いけど、ワークショップ形式やし、個人的に共感の持てる方法論スタンスやから好き(おそらく他の学生はあんまり共感持ってない)。ワークショップっていうのは、一学期の期間中に身の回りを舞台にプチ民族誌研究をやるというもの。

三つ目は、モノと物質性とそのモノの「力」を研究すると言う、最後にはツボを売りつけられるところで完結するんちゃうかというような謎の授業。この三つ目にはほとほとうんざり。人類学というのはその名の通り、人間(のあらゆる側面)に関心のあるひとたちが有象無象に集まってできてる学問分野なんです。この「モノの人類学」というのは、要するにその人類学の中で「革命」を起こしたいという、中二病なんです。プログラムが始まって最初の必修授業で中二病の相手をさせられるのは、自分で自分に同情する以外の対応方法を思いつかん。

とはいえ、これを自分にとっても面白い切り取り方でエンジョイする方法は無いわけではないので、そういうふうになんとか気持ちを整理して頑張ってます。人間への関心というのは、その反対物としてのモノへの無関心から始まっていたり、あるいはモノが人間らしさの形成に与えてる影響も重要になったりするから、改めて「モノとはなんぞや」と問いかける(それ自体ではただの中二の)論文を読むことによって、なるほど(逆に)人類学における人間への関心っていうのはあんな風やこんな風に成り立ってたり意味があったりするんやなぁ、と考える良いきっかけになるんです。それにしても、モノそれ自体がvibrant(振動している)なのダァー!と目を輝かせて語ってる本や、ましてそれを嬉しそうに読んでる先生や学生を前にして、一体どうしようかと思ったわ。椅子(モノ)は椅子やろ、振動してたら困るわ!!量子力学研究科か眼科か、どちらかに行ってください。

まぁこんな風にいうとただのアホみたいにしか聞こえへんので混乱すると思うので、一応もうちょっと文脈を説明すると、要するにこれはアナロジー的な(もしくはレトリカルな)事象分析をどれだけ遠くまで進めてしまうか、という問題です。人間のあらゆる言明は全て、程度の違いはあれ全てある種のアナロジーですが、一般的に受容可能なレベルの(普通はアナロジーとは認識されない)アナロジーもあれば、どう考えてもただの詩かツボ売り商売にしか聞こえへんアナロジーもあります。この一般レベルと極端レベルの間の境界というのは、いわば文化や社会や慣習によって定められる恣意的な境界にすぎないので、ツボ売り商売を真面目に(受け入れられるべき語りとして)語ることも、別に何も間違ったものではないはずです。これを徹底的に突き詰めたのが、「モノの人類学」なんやと思ってます。ただしそれを受け入れるかどうかは、個人個人の自由です。僕は受け入れません。以上。

あと二つ目の方法論の授業でやらされてるプチ民族誌研究プロジェクトでは、自分は「この大学の人文・社会科学系の博士課程で、慣れない言語(英語)でゴリゴリ勝負しつつ頑張ってる東アジア出身の人らが、どういうふうに頑張ってるのか」というテーマにしました。友達を見つけるついでに課題の題材にもなって、課題をやるついでに知り合いも増えるという一石二鳥。しかし。英語圏で生まれ育ったり学部からアメリカで勉強してきた人を除くと、ほとんどいないですねそういう人。というか、そもそもそういう人が少ないはずやと思ったからこの問題に関心持ったわけで。つまり東アジアからいきなりノコノコやって来て、毎週何百ページも英語で論文読まされて、それで無事に輝かしく成功している人なんていうのは、多くないんですよね。まぁもちろん、全くいないわけじゃないので、探していけばプチ民族誌研究プロジェクトとしては十分成り立つと思うんですが。何れにしても、ちょっと探し始めてみて「やっぱり少ないな」と気づいたのは、なんとなく勇気付けられました。自分がなんかの間違いでここには入れてしまったのは事実として受け入れるとしても、そこで苦労するのは仕方のないことや、って思えるからです。ずっと日本で育った日本人としては、英語で展開されるゴリゴリの思想系の語彙や論理を理解したり話したりするのは、語学能力以上のもっとややこしい問題を孕むんです。どれだけTOEFLが良くても、また全く別の問題。ヨーロッパ言語から来てる人たちとは、まったく違う次元の困難に立ち向かってると思うんです。思考や表現の論理が、ヨーロッパと東アジアでは全然違う。考えんでもわかるものわからんもの、口を突いて出るもの出ないもの、そういうのが文化圏ごとにあると思います。大変やけど、楽しいは楽しいので、頑張ります。まだもうちょっと、なんだかんだでここにおれたらええなぁと思っとります。

ニューヨークと9・11記念博物館

ニューヨークに1泊して遊んできた。世界中どこに行っても、ひたすら一人で街を歩き続ける。その街の美味しいものを食べる。物価が安ければその国のビールを飲む。クタクタにくたびれてお腹いっぱいになって(お酒も入って)、ドミトリー形式の安宿でせせこましくシャワーを浴びてからグースカ寝る。いつもちょっとくらい本を読もうと思うけど、ベッドに入った瞬間に寝てしまう(最後の部分は家にいても一緒)。ニューヨークでは、ビールの部分だけ割愛して、そのほかは全ていつも通りの滞在でした。実際物価は激烈に高い。サンドイッチを食べて2000円したこともあった。

そんなスケジュールのおかげで、まともに観光と言えるスポットは9/11記念博物館だけで終わってしまった。それ以外はほんまにひたすら歩き続け、ユニクロとアウトドア用品店で必要な服を買い、そして夜にたまたまハロウィーンパレードに遭遇。1時間前くらいから立って待ってたおかげで、ほぼ最前列で鑑賞。渋谷のハロウィーンとはまた違う、味わい深い光景でした。

9/11博物館は、面白かった。もちろん、歴史の表象と創造の観点から。入って一番最初に見せられるパネルに、こんな言葉が書いてあった。これを見て、大げさでなくほんまに体が震えた。

Nearly 3,000 people were killed on that day, the single most largest loss of life resulting from a foreign attack on American soil, and the greatest single loss of rescue personnel in American history. Approximately two billion people, almost one third of the world's population, are estimated to have witnessed these horrific events directly or via television, radio, and Internet broadcasts that day.

これが、アメリカにとっての9/11です。まず、アメリカが関わってきたあらゆる戦争は、全て外の土地で行われてきたことを、今更ながら確認させられる。とりわけその「戦争」が、前世紀・今世紀の最も凄惨な戦争のほとんどを含むという事実を改めて考え、また逆にアメリカの土地で見た死者数は正確に3,000人であり、かつそれ以上ではないという事実を突きつけられる。次に、これら全てを以ってしても依然として、アメリカはこの事件が世界の全ての人間の即時の注目を然るべくして集めたと自認している、ということを知る。そして最後に示唆として、”アメリカが世界の中心である”ということを、今更ながら叩きつけられる。

この後に続く膨大な展示は、その資料の全体的な豊富さ、写真記録・映像記録とクロノロジーの詳細さ、感情を惹起する仕掛け、事件それ自体に加えてレスキュー隊の努力と犠牲を強調していること(つまり単に「恐ろしい事件」ではなく、身を賭して戦うべき相手として事件を想像すること)、などの特徴が容易に目につく博物館でした。

広島の原爆記念館と、シンガポールチャンギ博物館(日本軍占領時代の記録)とを、頭の中で比べながら回った。圧倒的に9/11記念博物館に特徴的なのは、その物理的な大きさと、資金的な規模と、資料の豊富さ。民間人が録画した高解像度の映像や、ボコボコに潰れた消防車の実物展示や、現場の更地化の過程で行われた保存・追悼セレモニー(の記録が展示されてる)の規模など。このどれ一つも、広島では不可能やった。結局9/11においては、ビルとその周辺はアポカリプスのような状況やったとしても、ニューヨーク全体として、あるいは国全体としては通常状態であり、あらゆる力を総動員してその瞬間の記録を残すことができた。広島ではこれはできひんかった。原爆記念館の展示資料の中で、GHQの調査隊が残した調査結果が少なからぬ位置を占めていることが、そのことを物語ってる。

一方で、原爆記念館で行われている展示は、チャンギ博物館では不可能やった。チャンギ博物館と比べたら、原爆記念館なんてよっぽどよく整備されている方や。シンガポールの日本統治時代にどんなことが起きていたかなんて、チャンギ博物館に行っても断片的にしかわからへんし、歴史家が散々研究を重ねてもぼんやりとしか明らかにならへん。シンガポールで起きたことと広島で起きたこと、それぞれが「記録」として後世に残っていく程度の違いが、「記憶」として後世に残っていく程度の違いになってしまう。シンガポール/広島で起きたことと貿易センタービルで起きたこと、それぞれが「記録」として後世に残っていく程度の違いが、「記憶」として後世に残っていく程度の違いになってしまう。その「記録」は、その事件を受けとめた国の国力が大きいほど、またその事件を受けとめた社会のテクノロジーが発達しているほど、より詳細なものとして残る。その国力もテクノロジーも、事件の「記憶」それ自体とは本来的には関係すべきでないにもかかわらず。事件が記憶に残っていくかどうかが、結局国力とテクノロジーに左右されてしまう。

こういう人たちの中にいます

明日から1週間、学期の真ん中の一週間休み。休みがこんなに嬉しく思えたのは、人生でなかなか他に経験がない。唯一思い浮かぶのは、某機構で働き始めた最初の1週目から最後の週まで全ての週末(約100回)。(←no offense)

今日はちょうど学科の飲み会があったので心置きなく参加してきた。10時頃から人々がバーのカラオケを歌い始め、そのアメリカらしい楽しみ方に圧倒される。ゆうに50人はいると思われるバー全体の群衆に対して、どこからともなく客がステージによじ登って歌い始める。60代のオジさんによる哀愁漂うカントリーロックから始まり、なかなかうまいと思わせつつ、人が交代するたびにだんだんひどくなっていく。最後は目も当てられへん。それでもバー全体が思い思いに体を揺らして、歌い終わりには笑顔で拍手する。

カラオケが始まる前は普通にバーでビールを飲みながら友達と話す会。どんな友達がいるかを書きましょう。

ヒゲぼうぼうで長髪のインド人。お父さんがシク教徒とかなんとかで、シク教徒は体毛を切らない、みたいな話をどこかで聞いた。お母さんは別のカーストやから、カースト間の結婚で生まれた子供である彼は自動的に不可触民らしい。酒が好きで、一緒に飲むといつも最後まで、「もう一杯いけるよな?」と粘ってる。デリーで学生しているときは、一気飲みをprofessionalにやってたって自分で言ってる。確かに何かと一気飲みを誘ってくる。抑揚のないインド訛り特有の英語を話すし、おそらくこれもインド訛りの特徴であんまり口を大きく開けずに話す。でも一方で、ごもごもっと喋るのは単に個人的なクセの問題な気もする。なんとなく柔らかい話し方が特徴的で、目の輝きも奥行きがあってなかなか読み取りにくい。ものすごい数の本を読んできてる典型的なインテリ。学部では化学を専攻して自然科学にも明るいし、社会科学についても誰よりも本を読んでるみたいに思う。四六時中タバコを吸っとる。歌を歌ったり踊ったりするのが好きなんやろうなという感じがするけど、今日のカラオケは歌いたい曲が入ってなかったみたい。残念。

お父さんがメキシコ人というヒスパニック系のアメリカ人。精神的に不安定な(疾患のある?)子供の学校の先生をしていたとかで、心理セラピーのことよく知ってる。特徴的なアクセントで英語を話すけど、あれはどこのアクセントなんやろうか。文の節ごとに抑揚を上げるのが特徴で、聞き手がついて来てるかどうかを常に確認しながら話してるっていう印象を与える(アメリカ英語は一般的にそう)。人の話を聞きながら、いつも繊細に表情を動かしてる。多くの場合は、微笑んでる。表情だけでなくて、誰かが話してるのに合わせて腕を動かしてジェスチャーを作り、一人の聞き手として話の内容に合わせた演劇的な表現を行ってる。だれもそのジェスチャーにはコメントしないけど、みんなが無意識に聞き手として自分の心をそれに連動させて、それによって話し手の語りに対しての共感を深めてる。一対一で会話するときは、「沈黙する瞬間があったら、意図的に沈黙を利用して相手に話させるよ」と言ってた。劇的にコミュニケーションがうまい一人の女性。

お祖父さんが日本人やというミシガン(?)出身のアメリカ人。初めて話したときは、こちらが日本人やということそれ自体には全く触れず、アメリカでの食文化みたいな文脈でさりげなくお祖父さんが日本人と知らせてきた。どんな会話になっても、相手について何かの断定的な言明をすることは絶対にない。が、こちらが何か踏み込んだ会話を振ると、積極的に乗ってくる。乗ってくるが、こちらが振った以上の深さを超えては決して入ってこない。こちらについて一定の興味は持ってるやろう。持っていながら、その興味をああやって完全にコントロールしているのは、いったいどんな自己管理能力なんや。授業で人が発言してるときは、いつも首を上下に振って共感を示してる。自分が発言するときも、ふと彼女の方を見るとこちらをまっすぐ見据えて首を上下に振ってるのが見えて、安心する。

他にも、「イラン人にとって日本は、進むべき未来の国じゃ」というイラン人や、赤ちゃんから逃げようとするイカつい黒人の男の子や、いろいろおる。今日は(上手い〜下手までの)カラオケを聞きながら妙に幸福な気分でした。カウンセラーともいい話ができたし。明日から1週間休みやし。明日締め切りの課題もほとんど終わっているし。休みの間に、やっとニューヨークを見に行きます。おかげさまで、まだここにいます。

 

 

イギリスで修士やって切り抜けたこととか全然関係あらへんですわこれ

おまえ前イギリスで1年間勉強してたやんけ、大変やなんて今更ちゃうの?という声は、自分の中からも聞こえてくる。それが、それほど今更でもないんです。なんでか、っていうのはだいぶ複雑な説明になる。

まず関連で思い浮かぶのは、イギリス大学院の高度に商業的な性格と、それと対照的なアメリカ大学院の本格的な教育体制。

イギリス(SOASだけか?)では、何十人もの学生が一つのプログラムに参加する。教授が一人一人に目を届かせることは全く埒外。学生を分割してディスカッショングループを作る「チュートリアル」の教員(「チューター」)ですら、学生へのケアはチュートリアルの中だけでほぼ完結。教員との面談といえば、最初に一度コースコーディネータと面談したこと、最後に指導教授と3回(回数が決まっている)の論文指導をしてもらったことを除けば、それ以外に記憶はない。1年間のプログラムやから、ちょっとしたキャリアアップのために入学する学生も多い感じがする。学生のバックグラウンドはバラバラで、これまでアカデミックな道を歩いてきたことじゃない人が多いし、これからもアカデミックな道を歩くつもりのない人も多い。授業での議論は、自身の経験に基づいた事例検討的な発言や、まったくの思いつきのような発言も多く、また理論的に熟していない(悪く言えば、アカデミズムとしては必ずしも成立していない)発言も多い。そして極め付けは、ひとつの単位はレクチャーとチュートリアルで構成され、レクチャーは日本みたいなひたすら講義するやつ、チュートリアルは10人くらいの少人数に分かれて議論だけするやつ。レクチャーは聞いていてわかるし録音も出来るから、仮にチュートリアルの議論がついて行けへんでも、最悪レクチャーだけわかって論文を読んでいればそれでなんとかなる気がしてた。最後に、大学の運営は、学費を主な収益源とする(と思う)。

一方アメリカ(この大学だけか?)では、学科に在籍する一学年の学生がたったの8人(それでも平均より多い)。毎週でさえ、会おうと思えば教員と面談できる(すでに4人と8回面談済み)し、積極的にそうすることを期待されている(何度も言葉にしてそう伝えられる)。最短5年の腰を据えたプログラムやから、学生はみんな真剣やし、それぞれアカデミズムの道で生計を立てることを念頭に置いて本気で勉強している。実務者キャリアは少なく、少なくともPhD修了後は研究の道に入ることが前提のはず。授業での議論もこれに対応して、理論的に筋の通った発言が多い。また教員・学生の両方が、議論を生産的に方向付けることを意識して行っている(ただし、高度な議論をしているかどうかはまた別問題)。授業、とは言っても、レクチャーは基本的に行わない。すべての授業が議論ベースで、イギリスでいうチュートリアルだけしかない感じ。授業以外に毎週、外部講師を招聘するレクチャーを学科が運営していて、学生はそこに参加することを期待される。レクチャーの翌日にはその外部講師とのランチがあり、ありとあらゆる人類学者と直接話す機会が作られている(ランチの参加者は学生10人強)。別の学科もありとあらゆるセミナーを運営していて、情報が常にメールで流れてくる。学費は支払わず、大学の予算が学生の生活費・学費などすべてのコストについて面倒を見る。学費・生活費以外の面でも、あらゆるサポート体制を完備。博士候補生を雇用して学部生(・博士課程学生)の勉強のサポートをするWriting Center(1.5時間のマンツーマン家庭教師、毎週受けられる)、年間(?)を通して外国人学生の英語の世話をするELP、充実した保険センターなど。すべて大学の予算で運営しており、学生は1ドルも支払わない。

こういう環境のもとでは、なんとか単位だけとって乗り切ろう、という気にはならない。5年後6年後に論文を書くとき・書き終わったときに、ほんまにプロの研究者として一人前になっていられるかどうかは、今この環境において一つ一つを順番に吸収していけるかどうかや、という感じがヒシヒシとする。それだけに、一回の授業がまったくついて行けへんかったら、その日を無駄にした気がして(実際無駄にしてる)落ち込む。

次に思い浮かぶのは、イギリス(SOASだけか?)の国際的な環境と、アメリカ(ここだけか?)のアメリカンな環境。

SOASは、少なくとも自分が出席している授業などでは、半分以上が外国人やったんちゃうかな。外国人を相手に授業や議論をすることが当たり前の環境やった。英語能力、文化的作法、コミュニケーションの違い、などなど、すべてが既に考慮されていた。外国人やからといって疎外感を感じることはなかった。ついていけなくても、それが普通やった。

アメリカでは、授業ではほとんど全員が英語ネイティブで、しかもマジョリティがアメリカ人。アメリカ人は、もちろん人種的・バックグラウンド的には多様やけど、でもアメリカ式のコミュニケーション的基盤を共有している人達という意味では、外国人からは一線を画している。英語ネイティブじゃない人も、修士まで英語で上がってきたインド人やったり、妙にbookishで流暢な英語を喋る南東ヨーロッパ出身者やったり(非ネイティブであっても、そもそもヨーロッパ諸語から来ている人達はアジア諸語から来ている人と比べて圧倒的に有利なはず)。頑張って英語勉強してここまで来ましたという感じの人は、ほんの数えるほど(先輩のトルコ人、イラン人、教員のロシア人、ギリシア人、そして自分)。したがって、議論の際はテンポが圧倒的。すべての学生が、他のすべての学生の発言を逐一すべて理解しているような印象を受ける。極めて強い訛りで話す学生や、若者らしく異様なスピードでかつ音を頻繁に脱落させながら話す人や、いろいろいるが、そういった発言すら、すべての学生が基本的にすべて理解している模様。授業外の面談や個人的な会話においても、こちらが外国人やということはあまり考慮されない。これは外国人学生が少ないからということではなくて、おそらくアメリカの文化的特質なのかと理解している。どんな出自であれ、どんな英語能力であれ、すべての人が平等に市民。不要な配慮はしない、なぜなら対等だから。これについては後日、別のエントリーで書きたい。とにかくそういうわけで、外国人やからといって逃げ場がない。一週目から早速、一人前のコミュニケーション参加者として振舞わなあかん。

なぜイギリスとアメリカでこんなに違いを感じるのか、という問いに対しては、制度的にはとりあえずこれくらいやろうか。すぐ上で触れたように、アメリカの文化的な特徴も自分にとってはズッシリ重い。これについては後日。

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