なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

発達障害というラベルを得て安心した。が、その安心はすぐに賞味期限が切れた。それでどうなったのか?

発達障害というラベルの賞味期限が切れた

自分はどうも他人とは違っているような気がすると若いときから思い続けて、でも誰しも他人と同じなんて有り得ないし、それぞれ何か違うっていう感覚を持ちながら生きるのが普通なんや、というごく妥当な考えで蓋をして生きてきた。

で、その違いをこれ以上は無視できない、なかったことにはできない、という限界点に達して失業した。問題と全力で向き合った結果、なるほどこれは発達障害なんやと知った。ラベルを得ることで大いに安心させられたし、自分からラベルを求めた。

ところが、ラベルが付くことで安心できる段階には賞味期限があるらしく、ちょっと前にそれが過ぎてしまった感じがする。

自分で自分の可能性を絞り込んでしまう

発達障害は本質的には「特性」に過ぎず、それが「障害」になるか「強み」になるかは生き方次第(社会との渡り合いかた次第)やということを(知識として)理解した。でもその原理を理解したところで、発達障害を強みにできるような生き方が簡単に編み出せる訳じゃない。

その現実に、直面している。

その現実は極めて過酷で、「人と自分が違うっていうのは気のせいや」と蓋をしていた時代には無かったような重みでのしかかってくる。昔も当然、実感としての違いをベースにしつつ、自分はこう行きていこうみたいな自分らしさを考えていたけれども、そのときの「他人は他人、自分は自分」という命題の重みとは全く次元が違う。

昔やったら、もっと素朴に得意なことをトライして、失敗したらケロッと諦めて次のことを試せばよかった。当時は、得意な事柄とかやりたい事柄というのは絶対的に決まったものではなくて、自分の能力と社会の状況を観察してビジネスチャンスを狙うときのような開放性と自由度があった。僕の性格として、しつこくトライし続ける粘り強さと「ケロッ」としたポジティブさを兼ね備えていたと思うし、だから物事がうまく進んでいたと思う。

ところが発達障害というラベルがついた今になって振り返ってみれば、その「ケロッと」性は、自分の特性について曖昧な理解しかなかったからこそ可能になってたんやと分かった。

何が得意で何が苦手なのかを漠然としか自覚できていない時、人間は大胆にチャレンジできるし、失敗しても前向きに次を目指せる。なぜなら成功の裏にも失敗の裏にも、運命的な決定性を感じないから。運悪く失敗しただけやろうし、運良く成功しただけやろう、と。

発達障害という観点から自分についての理解を深めた結果、そういう開放的な態度を取ることが不可能になった。

自分には何ができなくて、何ができるのか。他人と比べた場合にどれほど決定的な差異があるのか。そういったことについて、今や細密画を見るように正確に理解してる。

しかも、やりたいことを大胆にトライして派手に失敗した経験を経て、その失敗が自分の特性からの必然的な帰結やったということがはっきりと分かる。

そうすると、他にどんなトライをすれば同じような大失敗に繋がってしまうのかが、ありありと見える。あれもダメ、これもダメ。

もちろんそれは単なる予想に過ぎず、実際にはうまくいくかもしらん。でも「やってみなきゃ分からない!」というのはここでは意味をなさない。なぜなら直近の大失敗が心に深い傷を刻み込んでしまっていて、同じような失敗に至ると思えるようなトライを挑戦する気分には到底なれないから。

つまり、かつてあったようなケロッとトライし続ける開放性それ自体が、発達障害にまつわる経験と認識によって毀損されてしまったということ。自分で自分の選択肢を絞り込んでしまう。あれもダメ、これもダメ。

強みを活かすなんて言っても、簡単じゃない

では逆に、特性を強みとして活かす道は?

これは発達障害にまつわる王道の問いであるが、同時に王将なき詰め将棋のようなものでもある。強みとして活かす道なんて、簡単に見つかるのなら、蒸気機関の原理と一緒に見つかってる。簡単に見つからんからこそ苦労し、発達障害という概念に助けを求め、それでも派手に失業する。

確かにいくつかの具体的な分野や領域が候補として挙がり、自分の特性に照らして得意かな、能力を発揮して自分の居場所にできるかな、と思うことはある。でもそれを急に試したところで、一瞬で成果が上がるなんてことは当然ない。成果を出してその道で生きてこうとするなら、これまでと全く同じように、コツコツと地道に小さな成功を積み重ねていくしかない。当たり前ながら、初めて挑戦する物事というのは全く取っ掛かりも分からず、「努力のやり方」自体を掴むのに時間がかかる。

つまり、これまでケロッとコツコツ努力してきた分野は「ダメ、ダメダメダメ」と道を寸断され、じゃあ逆に得意なことは何やろうかと考え出した暫定的な答えについては「はい、ここに道を作ってください」と単なるジャングルを突きつけられる。そのジャングルの向こう側に何かがあるのかどうか、全く確証もないまま。

繰り返しになるけど、これらの事態は全ては、発達障害について理解を深めて自分の特性について明瞭に認識をするようになったからこそ起きていることやということ。昔やったら、そんなジャングルに敢えて向き合って「ここに道を作るには」なんて考えもしなかったから、「そんな無茶な」という悲壮感も当然なかった。

ラベルをもらって安心したのは束の間。今度は現実的な難問に直面することになる。いわば、質の良すぎるメガネをつけてしまった悲劇とでもいうか。これまで見えてなかった過酷な世界がありありと見えてしまう。そこに道があるのかどうかよく見えないまま掻き分け掻き分け進んでいた時の方が、幸せやったかもしらん。

他人と世界を共有してないってことに気づいた時の絶望感

ラベルによる安心が賞味期限を過ぎたということには、もう一つの理由がある。それは、「発達障害」という一次元的なラベルによって他人が「理解」してくれるだけでは、次第に満足できなくなってくるということ。そして一歩先の多元的な理解を他者に求めても、それが原理的に不可能やということ。

発達障害というのは脳の器質の特異性なわけで、それは世界を認識する仕方の特異性でもある。たとえば色覚障害を持っている人のことを「色覚障害を持っている」とラベル付けし、そのラベルによってのみ理解をすることは可能。ところがさらに一歩踏み込んで、では色覚障害の本人は世界の色をどのように見ているのかというのは、第三者には決して分からない。

ただし色覚について厳密に言えば、科学の進歩のおかげで様々な検査を用いて色覚を数値化しパソコン画面上で再現することは可能やし、最近は矯正メガネまで登場してる。

ところが発達障害は、色覚よりももっと複次元的な認知の特異性やから、今の科学では到底数値化できないし再現もできない。結果として第三者は、発達障害の当事者の感覚値にアクセスできない。

他人と共有できない世界を生きているということは、深い深い絶望感を伴う。

昔はそのことに蓋をしていた。「違ってるというのは単なる気のせいや」と思って、他者と世界を共有していると見做していた。ところが発達障害について知って自分の特性を理解したことによって、もはや蓋はどこかに消失した。自分と他人とが世界を共有していないという断絶状況が、目の前にありありと突きつけられる。発達障害というラベルで安心できる段階なんて、遠く過ぎ去ってしまった。

回復する時を見越して準備する力なんてない

道がなくなって路頭に迷ってると同時に、頼れる他人が存在しなくて絶望してしまってる。端的に言って、非常に辛い。

精神の生命力というか、生きることへの意志みたいなものがもともと強くない人間やっていうこともあって、生きたいという気持ちより絶望感の方がちょっと優ってしまってる。今すぐ死にたいというわけではないけど、生きる力みたいなもんが不足していて、「死んだしまった方が…」っていう気持ちに恒常的になってしまってる。

他人との関係においても、「どうしても説明や気持ちが伝わらへん」という意味での「理解されなさ」であればまだいいけれども、少しでも相手から攻撃性や批判性を感じ取ると、この人は絶対に無理、コミュニケーションするだけで自分の傷が深まると思ってしまって、もうそういう人とは順番に縁を切っていってる。

おそらく、これからのいつかの時点で人生がうまく行き始めて今のことを振り返ったならば、そうやって縁を切ったことは後悔するんやろうと思う。縁を切るまで行かなくても、SNS上やら何やらでネガティブな言葉を吐きまくってるのは、ほんまに自分の人間関係に傷をつけてるし、もっと言えば自分の人生の可能性に自ら傷をつけてると思う。

けれども、先のことをそんな風に見越して計画的に「今は我慢しよう」とかちゃんと考えられるような精神状態じゃない。とりあえず自分の心を防衛することに必死で、煮え繰り返るような憎悪は何らかの形で吐き出さないとヤバイし、切るものはバシバシ切っていくしかない。好転するタイミングが来たなら、その時点で残ってる人間関係の中から頑張って人生立て直していこうと思う。

 

サンシャワー展、東南アジア現代芸術。当たり前の世界観と当たり前ではない別の世界観について。それを経験する場としての展覧会についての体験記(レビュー)。またヴァンディ・ラッタナ作「独白」について。

サンシャワー  東南アジアの現代美術展  80年代から現在まで」という展覧会が六本木で開催している。

 国立新美術館森美術館の両方を使って膨大な数の作品を扱っていて、対象の年代も80年代〜現在までと大胆にカバーしてる。東南アジアについての現時点における総決算のような展覧会なんではなかろうか。これを、5日間かけて舐めるように観てきた。その感想を書いて、面白さを紹介するとともに東南アジアへの関心を少しでも広めたいと思う。レビューでもあり、体験記でも感想でもある。

 ヴァンディ・ラッタナ作「独白」

 いろいろ書きたい感想はあるけれど、少し独特な印象を持ったある一つの作品の体験について、まず取っ掛かりとして書いてみたい。

 それは、森美術館のかなり最後に近いセクションで、歴史との取り組みをテーマにした箇所だった。

 大きく取られたスペースの片隅の壁に、家庭用程度の小さなTVスクリーンが掛けられ、一見すると平凡な森の一角を撮っただけのように見える映像が映っている。熱帯の太陽が照りつけて風もほとんど吹かず、見るからにうだるような暑さ。そのような、少し開けた森の一角。

 その前に置かれた小さな長椅子に座り映像を観始めると、男性が誰かに語りかけるモノローグと、それに合わせた映像であることがわかる。スクリーンの横に取り付けられた小さなプレートには、作品のタイトルとしてヴァンディ-・ラッタナ作「独白」とある。

 そういえばこの部屋の入り口にあった解説で、「『独白』は、作家自身が生まれる前に亡くなった実の姉へのメッセージである」とあった。このモノローグがそれなのだろう。

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カンボジアのマンゴーの双樹

 舞台は、作家の生まれの国であるカンボジアだった。作家自身らしき独白の男性は、家から遠く離れた場所の、ある二本のマンゴーの木のもとへ出掛ける。いまから40年近くまえ、男性が生まれる前に亡くなった姉は、マンゴーの木の下に埋められた。姉が埋められた当時は苗木だったそのマンゴーの双樹は、いまや大木となった。薄緑色のような小さく控えめな花を、葉と見紛うほど無数につけている。樹高が高すぎて、実がなっても人間の手が届かないだろう。

 話したことも、微笑みあったこともない、見知らぬ姉への愛情を語る男性。母や父は、もはや姉のことを語ろうとも、その名前を言おうともしない。生きていたならばもう40歳ほどになっていたはずの姉は、マンゴーの木の下で、きっと今も眠っている。でもその大木の木陰は広い。ここなのか?あそこなのか?それともそこだろうか?男性は手がかりのないまま、姉の眠る場所を探す。そして最後には、その辺りに落ちていた朽ちた一本の竹と、乾いた一握りの赤土と、そして辛うじて手が届いたマンゴーのひと枝を持ち帰った。男性の感情の吐露とともに、緩慢な映像が進んでいく。

ひとつの事実と衝撃

 ところがその緩慢さとは裏腹に、独白の終盤のある時点で、まるで何事でもないかのように一つの重要な事実が明かされる。マンゴーの双樹のもとに眠るのは姉だけでなく、五千人もの人間であるというのだ。姉一人がそこに眠っているものと勝手に思い込んでいた私は衝撃を受ける。そこで初めて、「姉がいるのはここか?あそこか?」という言葉が、単なる場所探しという意味を超えて、顔の見えない無数の亡霊の中から姉を探し出すという、生者と死者を隔てる壁ゆえの不可能な捜索をこそ指していたのだと気付かされ、頭を殴られたような鈍いショックを受ける。姉を殺めた内戦は、同時に五千人もの人間を殺めた。その場所で。そしておそらく、そのような場所がカンボジアには数え切れないほど存在している。無数の亡霊と墓標のない墓地という想像が瞬く間に広がり、姉はその中に投げ込まれる。名前を語られなかった姉は、このとき、存在としても無名性を確立する。

 不意を突くあまりの衝撃に私がたじろいでいる間、私の背後には他の来場客が次々と去来する。一組が来ては、マンゴーの双樹の画が次の画面に移り変わるまえにもう立ち去っていく。木陰の画から次の画面に移り変わるよりも早くに立ち去っていく。画面の移り変わりはあまりに鈍重で、マンゴーの双樹はあまりに変化がなく凡庸に見える。男性の独白もまた、あまりに抑揚に欠け落ち着き払っていてる。長椅子に腰掛けることなく去来する客は、極端にテンポを抑えたその映像をほんの数秒間眺めるだけで、興味を失い立ち去っていく。独白の男性は、全編中で一度だけ、感情を高まらせ抑揚のついた声で、姉への苛立ちを語る場面がある。しかしそのとき、私以外に誰もそれを目撃する人はいない。乾燥したカンボジアのうだる暑さそのもののような鈍重な映像が、不意打ちによって私の心にもたらした鈍い心の痛みは、他のどの客とも共有されずに、ただ部屋の端で垂れ流され続ける。

 朽ちた竹と赤土とマンゴーの枝木を持ち帰った男性は、それを父母に渡す。父母は、聞こえないような声でブツブツと何か文句を言ったり、何も言わずに黙っていたりしたという。名前を言われることも、思い出を語られることもない姉は、その形見を届けられても涙を流されない。映像は、父母の表情すら決して映さない。姉をめぐる家族の歴史はあまりにも重く、姉を見知らない弟を除いては誰も正面から向き合うことができないのではないか。

 姉のみならず父母さえもが無名で顔のない存在として語られるこの独白において、私が察し得ることは限られている。しかしそれは一つの確信として立ち現れる。照りつける灼熱の太陽と、変化なくそそり立つマンゴーの大木と、そして緩慢な男性の独白の裏側に、語り得ない闇のような悲しみが隠されているという確信。そしてそれは、その鈍さゆえに、誰にも気を止められず部屋の片隅で垂れ流され続ける。まるで悲劇の歴史を、悲劇的なすれ違いそれ自体によって再演しているかのように。

垂れ流される見事な表現

 作家自身やその家族の心に鉛のようにのし掛かる悲しみと負の歴史は、作品の表現によって見事に伝わってくる気がする。個人的な、家族の悲しみ。語るにはあまりに重い負の過去。それがごく一般的な家族史であるという残酷な歴史。それら全てに対し、いまだ完全には折り合えないまま高齢を迎えた父母。直接は識らないからこそ果敢に出向いて行けた、弟である作家自身。しかし彼もまた、父母がマンゴーの枝木と赤土に反応を示さないことに、複雑な共感を示す。カンボジアの乾いた熱気そのもののように緩慢で鈍重で暑苦しく、また全てを退けて茣蓙に横になっていたいような重々しい気分にさせるこの映像によって、これら全ての暗く重いメッセージが見事に表現されている気がする。

 しかし、まさにその緩慢さゆえに、作品は多くの観客の関心を得られない。映像と悲しみはただ、部屋の片隅で、気づかれないまま垂れ流される。見事に表現できたからこそ伝達に失敗するというのは、何という皮肉だろうか。

 

 このすれ違いは、何故起きたのだろう。それは必然だろうか。私は、立ち去って行った来場者を非難すべきなのだろうか。

 

現代芸術を現実の中に位置付ける

 一般的に現代芸術は、私たちの日常世界を「当たり前」たらしめている固定観念や偏見に対して、そっと疑問符を貼り付ける。

 世界を何らかの方向に変えていくことは、まずその目指すべき世界を想像するというステップからしか始められない。つまり、何をどう変化させて、代わりにどんな世界を構想するのか、という想像力が、全ての始まりになるということ。しかしまさにこれこそが、非常に難しい。なぜなら、当たり前になってる世界観の中では、それの外側に出て自分自身を見つめ直すことは普通はできないから。もしそれが簡単にできるなら、そのような世界観はそれほど「当たり前」ではない。簡単には逃れられない「当たり前」こそ、真に挑戦する価値のあるものだといえる。その難しい課題を自ら背負って頑張ってるのが、現代芸術だろう。

 現代芸術のこのような位置付けに照らせば、日本において「東南アジアの」現代芸術を展示し鑑賞することは、そもそも矛盾しているかもしれない。フィリピンやインドネシアの作家が、彼らの生きてきた世界と歴史の「当たり前」に対して疑問符を付けようとする試みは、ごく普通の日本人にとってどういう意味がありえるだろうか。その「当たり前」を共有していない日本人にとって、「当たり前への挑戦」は、魅力を持たないのではないか。「独白」が関心を獲得できなかったのは、当然なのではないか。

 ところが、「当たり前」に挑戦している作品は、その当たり前の世界観や前提や存立条件を必然的に含み込んでいるはずだ。100%完全に何かを拒否した作品など、もはやその文脈の中に位置づけることが不可能になってしまい、逆に批判として成立しなくなるからだ。

 私たちは、このような「非-当たり前の提示の中に含み込まれた当たり前」を意識して観ることができないだろうか。そうすれば、本来なら当たり前を批判するはずの現代芸術が、逆に「何が当たり前なのかを知るための見事な道具」、いわば合わせ鏡のような洗練された道具に変身する。

 そういう活用の仕方は、必ずしも簡単ではないだろうと思う。ひと目観るだけで終わることなく、観ながらあれこれ考える必要があるし、社会政治経済文化についての背景知識があるほどそういう見方が容易にもなる。とはいえ、ある程度なら誰にでも可能なはずに違いない。誰にでも訴えられる普遍性を持った作品こそが、良い作品であり、したがって展覧会に持ってこられてるだろう(と期待したい)から。

東南アジアの現代芸術を日本人が観るということ

 だから東南アジアの現代芸術は、私たち日本人にとって、日本の現代芸術を観るよりも複雑さのレイヤーが一枚増えている。作品がどんな世界観を非-当たり前として提示しているのかを考える前に、そもそもどんな世界観が当たり前なのかを感じ取らなければならない。まずそれを感じ取った上で初めて、普段日本の現代芸術を観ながらするように、何が非-当たり前として提示されてるのかを探る、というステップに進んで行く必要がある。ステップが一つ多く、手間暇かかって緻密な作業になる。

 サンシャワー展を鑑賞することを、このような手続きとして考えてみようではないか。そうすればサンシャワー展全体が持つ、非常に貴重な価値が立ち現れる。それは、サンシャワー展が、作品や作家を取り巻いている世界(つまり東南アジア)について知るための一級の機会になってくれる、という価値である。

 東南アジア世界について知りたければ、それを解説した歴史の本を読んだり、飛行機に乗って身をもって体当たりすることも出来るし、そうすべきであることは間違いない。でも、そのように正統派の「勉強」をしたときに必ずぶつかる壁がある。その壁とは、「この歴史と社会については分かった。では、そこの中に生きている本人たちはその社会や歴史について何を思い、どのように未来を展望して、何に苦しんで、どんな喜びを見出しなが暮らしてるのか?」という、掴み所のない素朴な疑問である。そんな疑問にはっきりと答えてくれる学術書はないし、旅行で体当たりしたとしても、曖昧模糊としたイメージの海に溺れてしまう。

生身の人生を知るための道具

 現代芸術を観ることは、この疑問への答えを見つけるための格好の手段になる。広く認められた歴史や政治状況といった、本から得られる知識だけでなく、もっと生身の人間の生き様、人生、暮らしとしてその世界がどのようなものなのか。そのような観点から、東南アジアについて知ることができる。作家は、自分自身の個人的な幸福や苦悩を踏まえつつ、常にそれを広い社会の状況につなげながら作品を作る。そのため部外者である私たちにとって、すばらしい窓口を提供してくれる。

 ところで、無知の鑑賞者である私たちは、作品に含まれてる世界観のうちどの部分が当たり前でどの部分が非-当たり前なのかという判断ができないこともある。ならば、当たり前のものを非-当たり前と誤解したりその逆であったりということが起き、それは致命的な間違いのようにも思える。

 しかし、それはそれで構わないと私は言いたい。誤解を恐れずにいえば、作家が提示する「非-当たり前」すらもが、突き詰めればその世界の現状そのものであるはずだ。その世界において可能な表現しかそこには存在できないはずであり、したがって私たちの目の前の作品も、それがどれだけ現状への批判であったとしても依然としてその世界にしっかりと所属している。矛盾しないよう正確な言い方をするならば、つまり作品は、その世界に属しつつ、その世界の中の何かをズラしたり裏返したり、あるいはある部分を切り離して別の部分にくっつけたりするに過ぎず、全く無関係の何物かを外から持って来てそこにドンと置き立ち去っていくのではない、ということ。作家はその世界の責任あるメンバーとして、つねに説明責任を果たすべく、そこに立って自ら鑑賞者を招き入れる。だから無知の鑑賞者である私たちも、当たり前と非-当たり前の判別ができないことを恐れる必要などない。単に作家を信頼して、そこに身を委ねて感じるままに感じ取ればいい。それによって、東南アジアや作家の出身国について根本的に間違った理解をしてしまうことなどほとんどあり得ないのではないか。それが、サンシャワー展のように綿密な調査とキュレーションによって準備された展覧会の、代え難い良さなのかもしれない。

したがってサンシャワー展は、矛盾などではない。むしろ逆である。展覧会が全体として、東南アジアという地域世界とそこでの人間の生き様について知るための最高のテキストブックになる。

 

関心の外側と内側

 さて「独白」に戻ろう。東南アジアを知るための格好の窓口としてサンシャワー展を見るとき、「独白」の皮肉は何を教えてくれるだろうか。

 私たちは、何かに関心を示してそれを知ろうと行動するとき、常に知識の内側と外側の境界線上を不安定に揺れ動いている。すっかり知識の内側にある事柄に対して、私たちは関心を抱かない。それは既知だから。しかし一方で、すっかり知識の外側にある事柄についても、私たちは関心を抱かない。なぜならそのような事柄は全く理解不能であるので、自らの問題意識や好奇心を刺激しないから。

 来場客にとって、サンシャワー展は何らかの意味で知識の外と内の境界線上に位置付けられているに違いない。そして個々の作品も、多かれ少なかれ似た位置を占めている。

 ところが当然ながら、個々の作品ごとに、その境界の外側か内側に向けて少しズレた位置を占めるものもあるだろう。「独白」もまた、多くの来場客にとって、どちらかの方向にズレていた。映されたマンゴーの双樹が、単なる平凡な、つまり既知のイメージとしての森に見えたかもしれない。もしくは逆に、亡き姉に語りかける弟という個人的な状況が歴史社会的背景にどう繋がるのかが見えなかったかもしれない。

 しかしこれら二つの種類の無関心は、実は円環的に繋がってはいないだろうか。知らないことと、知りすぎていること。そのどちらもが、誤解というものと常に紙一重であるように思う。私たちが知っていると思うもの、それは常に、驚きを惹起する可能性とともにある。私たちが知らないと思っているもの、それは常に、予期せぬ共感の可能性とともにある。

作品が実演するもの、展覧会に足を運ぶ意味

 この両義性は、「独白」において見事に実演された。なぜなら次から次へと去来する何組もの来場者の横で、私という一人の来場者は、目を釘付けにされて魅入り、作品から多くの情感を得たからだ。共感と無関心の分水嶺は、鋭利で見定め難く、私たちはいとも簡単にそのどちら側かに押し流されてしまう。

 分水嶺のどちら側に押し流されるのかというのは、個々人の関心だけでなく、偶然にも依っている。私はこちら側に流され、立ち去った彼はあちら側に流された。そこに必然性はない。

 そしてそのような言い方には、「この作品においては」という留保をつけねばならない。別のあの作品においては、きっと彼はこちら側に流れ、逆に私はあちら側に流れて無関心のまま立ち去ってしまっていたに違いない。偶然のいたずらによって、来場者は全く異なる「お気に入り」の作品を見つける。

 サンシャワー展の見紛うことのできない特徴は、86組ものアーティストが参加するというその規模だ。また言うまでもなく、その規模から帰結する多様性。そのようなサンシャワー展においては、誰しもがそれぞれの偶然性と関心に応じた魅力を見つけることを可能にするだけの潜在性と懐の広さが、間違いなく保証されている。

 そうやって魅力を発見すること。その一つ一つの魅力とそれを楽しむ心。それがそのまま、現代芸術を窓口として東南アジアの世界観を知ること、つまり東南アジアの当たり前と非-当たり前の両方を知ることになるのだと思う。

 

 展覧会は10月23日まで。期間中、サイドイベントも多数。ぜひ行ってみてください。 http://sunshower2017.jp/

 

youtu.be

 

発達障害の人が、「画像で考える」と言われたり、話に脈絡がなかったり発想が独特だったりするのは、本人の体感としてはどういうことなのか。絵を描いて説明してみる。

思考方法の違いを内側から考える

前回の投稿で、発達障害の人は「違う論理空間に住んでる」ということに触れました。これは具体的には、思考するときに「言語ではなくて画像で考える」ということやと思います。実際、これを示している脳科学の研究成果もあるわけです。たとえば、

これは学術論文ですが、日本語で書かれた本でもよく説明されてます。たとえば、村上靖彦自閉症の現象学」。他にはテンプル・グランディンが、この説を繰り返し強調していて有名です。

 

でも「画像で考える」「視覚的に考える」っていうのが、本人の頭の中ではどういう体感なのか、大抵の人には想像ができないのかもしれません。なので少しでも伝わってほしいと思い、Google AutoDrawとパワポを動かして、ちょっと説明を作ってみました。

 

村上春樹アンデルセン文学賞スピーチを題材にデモしてみる

「思考方法」を説明するのって、非常に難しいです。自分一人であれこれ考えるときのような「思考」の方法は、説明しようとしてもあまりにもフワフワしてしまう。なのでちょっと工夫が必要です。

その工夫として、こういうふうにやってみたい。すなわち、今みなさんの前に、何かの一つの文章が与えられました。そこに書かれてる文字情報をどのように頭の中に取り込んで、どのように頭の中で処理し、記憶し、そして最後にはどのように再びアウトプットするのか。そのプロセスの一つ一つを、解剖してみたいと思います。

さて、題材としての文章は何でもいいんですが、たまたま出会った村上春樹のスピーチを使ってみます。村上春樹は、以下の引用のように語っています(一部のみ抜粋)。 まずこれを、何も変な意識をせずに、いつも通りに読んでみてください。読んでみてもらった後に、普通の人が(たぶん)どう読んだのかと、僕がどう読んだのかを比べます。

 

 【受賞スピーチ全文】村上春樹さん「影と生きる」アンデルセン文学賞BuzzFeed

今日、ほとんどの批評家ととても多くの読者は、分析するように話を読みます。これが正しい読み方だと、学校で、または、社会によって、訓練されます。学術的視点、社会学的視点や精神分析的視点から、人々はテクストを分析し、批評します。

と言うのも、もし小説家がストーリーを分析的に構築しようとすると、ストーリーに本来備わっている生命力が失われてしまうでしょう。書き手と読み手の間の共感は起きません。

批評家が絶賛する小説家でも、読み手は特に好きではないということもよくあります。多くの場合、批評家が分析的に優れていると評価する作品は、読み手の自然な共感を得ることができないからです。

アンデルセンの「影」には、このような生ぬるい分析を退ける自己発見の旅のあとが見て取れます。これはアンデルセンにとってたやすい旅ではなかったはずです。彼自身の影、見るのを避けたい彼自身の隠れた一面を発見し、見つめることになったからです。

でも、実直で誠実な書き手としてアンデルセンは、カオスのど真ん中で影と直接に対決し、ひるむことなく少しずつ前に進みました。

僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。それは僕自身の影に違いない。

そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。影から逃げることなく。論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。

でも、それは影の力に屈することではない。人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。

読み手とともに、この過程を経験する。そしてこの感覚を彼らと共有する。これが小説家にとって決定的に重要な役割です。

 

普通の人は(たぶん)どういう風に読むのか

普通の人がどう読むのかは、僕はあまり知らないんですが、自分の中にも一応普通の人みたいな側面が存在してることも事実です。自分のその側面を頑張って観察してみると、たぶんこういう風になってるんじゃないかと思います。

まず初めて文章に目を通す時、とりあえず情報を流し込んでいきますよね?キーワードをピックアップしていきつつ、文法や段落の構造に沿ってキーワードを相互に関連づけながら、まず情報を取り込むと思います。

あえて図示すると、こんな感じでしょうか。もちろん言語を二次元平面に落とし込むこと自体に無理があるので、あくまで擬似的な表現なんですが、あとで出てくる僕の場合の理解の仕方と比較するという目的のために、ひとまず受け入れていただけたら助かります。

図1:普通の人の理解の流れ (その1)

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重要そうなキーワードには特に注意を払いながら読んだと思います。また、前半はわりと言ってることが単純なのでキーワードが少なく、そのぶん一つ一つが大きく感じられたはずです。後半に行くと、複雑度が増した結果として情報量が多く、キーワードが多く感じられたと思います。その中でも「読者と」「共有する」ことは結論であるので、はっきりと大事な感じがしていたのではないでしょうか。以上を踏まえ、図1のようにしてみました。

さて、このようにして流し込んだ情報を、次は「理解」するために構造化しようとするかもしれません。その時、だいたいこんな感じで整理したでしょうか。

図2:普通の人の理解の流れ (その2)

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ここまでクリアに構造化するかどうかは人(場合)によって違うと思います。もっとふわっと受け止める人もいれば、図1のような情報の取り込みだけで終わる人もいると思います。

また、何人かの友人に訊いてみた結果として分かったのですが、図1的な段階の情報の取り込みは、極めて無意識に近い状態で行なっているらしく、そもそもそこの段階に「言語」や「言葉」が介在しているのかどうかすら、本人として自覚しにくいようです。

なので多くの人は、図1というよりむしろ図2の方が、自分の頭の中に存在している処理プロセスとして明確に感じ取れるのではないでしょうか。

 

発達障害の人(少なくとも自分)はどう読むのか

さて一方で、僕はこんな風に読みます。目で文字を追いながら、ごく少数のいくつかの言葉が頭に入った瞬間に、それらを纏めて一つの絵にします。絵が一つできた瞬間に、それを作る元になった「言葉」は頭から消えます。そのようにして絵が一つ頭の中にできます。そして、読み進めながらこれを繰り返していきます。

図3:自分の場合の理解の流れ(その1)

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ここでは、「批評家が文学を読んで学術的に分析する」という意味内容が、左上の本と記号群の絵で示されています。その結果として作家と読者の繋がりが切れてしまい、作家の生命力が読者に伝わらないことを、右下の横長の図で示しています。

上述のとおり、こういう絵が頭の中に出来上がった瞬間に、その元になった言葉は頭の中から消え去ります。「批評家が文学を〜」というふうに絵を説明しているのは、後付けで、つまり説明のために説明しているだけに過ぎません。実際は、僕の頭の中ではこの絵だけで意味として完結しています。つまりこの絵が十全の意味を帯びていて、「理解」の方法として完全に機能してます。

ただし図1と同様に、これについても二次元平面に落とし込むのは若干無理があります。実際に頭の中にある絵は決して二次元の絵ではなく、三次元的でもあるし、動くこともあるという意味で四次元的でもあるし、もっと言えばそこには「次元」の制約がそもそも無いとも言えます。何か抽象的な形のないものがあるんですが、ただしそれを「視ている」という感覚だけ明確にあるんです。「絵」であると同時に、具体的な情景であることもあれば、高度に「抽象的」なイメージのこともある。そういう類の、普段の生活で言う「絵」や「視覚」とはちょっと違う、特殊な意味での「(脳内)視覚」機能です。

いずれにしても、文章を読み始めた瞬間からすぐにこの「絵」の構築が始まり、それを構築するもとになった「言葉」は一瞬で頭から消えていきます。

図3は文章の冒頭部分でした。中盤あたりまで読み進めると、こうなります。

図4:自分の場合の理解の流れ(その2)

 

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これは説明不要やと思いますが、「自己発見の旅」「影」「トンネル」あたりを、このように理解しました。そして結論部分は…

図5:自分の場合の理解の流れ(その3)

 

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書き手の内面的な旅と影と自己を読者と共有する、という内容が、このようなイメージになりました。

これら3枚の絵は、文章に初めて目を通した瞬間から自動的に頭の中へ流れ込んでくる情報そのものなわけです。つまり普通の人の場合で言えば、図1(と、ある面では図2)に対応していると思います。

そしてこれらの絵を視たあと、最後に、文章全体を俯瞰する必要があります。それは、図3〜5を統合したような絵になります。

図6:最終的な全体の理解

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これが、普通の人でいう図2に対応しているんやと思います。

この図を見ると大抵の人は、「一つ一つの絵が文章の内容に対応していて、それらを全部合体させたんや、ということは分かる。しかし、これがどうやって図2のような論理構造を表現できるのか分からない」と感じるのではないでしょうか。

また同時に、こうも思うかもしれません。「絵本を読んでるみたい。直感的にはそういう情報処理の方法もあってもいいかもしれないという気がする。」

これら二つの感想を持ったとすると、それはどちらも正しいことです。ですが、もっと細かく考えてみれば、いろいろややこしい問題をはらんでいるのが分かってきます。そのことを以下で書きたいと思います。

 

何が問題になるのか

さて、どういう問題を孕むのかという説明をするために、今度は逆向きのプロセスを考えてみます。つまり、村上春樹の文章を読み終わった人が、その内容を思い出しながら第三者に説明する、という場面を考えます。

 

普通の人の場合

普通の人はどうなるか。この人は読むときに、図2(または図1)のように理解しました。時間が経ったら忘れていくかも知らんけど、朧げになったり霞んだりしながらも、記憶のおおもとは図2(または図1)です。

つまり、これを頭に思い浮かべつつ、そこから言葉を紡ぎ出していくことになります。

図2:普通の人の記憶

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これは、難しくないです。すでに論理が構造化されているし、記憶の中に直接的な単語も残っていたりする。その構造に沿って、言葉を思い出しながら、順序立てて繋げていけばいい。「批評家によっては、共感は生まれない。分析的な読みをすることで、物語本来の生命力が…(以下略)」という形です。説明のコミュニケーションは、それなりにスムーズです。

 

発達障害の人の場合

同じ要領で、発達障害の人の頭の中にどういう形で記憶が残っているかを想像してみてください。それは、こうなっています。

図6:発達障害の人の記憶

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この絵「だけが」頭の中に残っているんです。繰り返しになりますが、上の方で「この図がこの段落に対応していて…〜」という説明をしたのは、それはこのブログ上での便宜的な説明にすぎません。あくまで、本人の頭の中にはこの絵だけがあると思ってください。

 

この1枚の絵を「説明」するとは、どういう取り組みなのか

この絵に基づいて村上春樹のスピーチを説明しようとするとき、あなたならどのように説明しますか?それを考えてみていただくと、いくつか気づくことがあると思います。

  1. まず何より、絵を改めて解釈し直す必要がある。この本はどういう意味で、この記号群は何を指していて、この読者とペンが繋がったベルトは何のことなのか、という具合に、いちいち全てを再検討することになる。
  2. 解釈の余地に幅がある。記号群を見て、「あたまでっかち」と読み取ることも可能やし、「理論的」「抽象的」「理解不能」「こむずかしい」というふうに、似た方向性やけれども正確に言えば異なる解釈が、いくらでも出てき得る。
  3. 絵が絵として充足しているので、言葉に対応させて説明するというプロセスが独自の労力を要する。どういう言葉に対応させればいいのかが完全にオープンなわけやから、どういう言葉にすれば相手へ伝わるやろうか、とか、どういう言葉がこの絵を適切に表現してくれるやろうか、とか無数の観点から言葉の選択をしないといけない。
  4. どの部分から説明を始めたらいいのかよくわからない。絵の並びはかならずしも順序立っていないので、右から左、上から下というふうに直線的に追うことが難しい。もしかしたら、真ん中あたりの一箇所から手をつける方が説明しやすかったり、まず結論だけ言ってしまうのもアリかもしれない。

他にも感じることがあるかもしれませんが、ひとまずこれくらいにします。

さてこういう形で、「絵」として残っている記憶を説明するとなると、どういう気持ちになると思いますか?個人差があるかもしれませんが、僕はこういうふうになります。

  1. 記憶を言葉で説明するという取り組みのために、やらなければならない作業が多く、莫大なエネルギーを消費して疲れる。
  2. 説明のためのストレートな決まった手順がないから、うまく説明できるかどうか常に不安。
  3. 相手に伝わるかどうか、また的確に表現できているかどうかが不透明やから、常に詳しめに説明してしまう。

 

異次元の論理空間の間で翻訳すると言うこと

ごく単純な比喩としては、美術館でみた1枚の絵画の内容を、友達に説明することを想像してみてもらえば分かりやすいかもしれません。「あの絵、よかった!」と一言で終わらせることはできますが、それによって伝わるのは絵の内容そのものではなくて、自分が受けた印象にすぎません。少しでも具体的に絵画の内容を伝えようとすれば、「川が描いてあって、ボートが浮かんでて、岸辺に人が立ってて、向こうには橋が見えてて、日が沈んだ直後のような薄明かりの空で、上の方には月が掛かってて、…」と延々と説明していくことになりますが、どこまでいっても相手にとっては常に具体性に欠けます。その川は波立っていたのかどうか、橋は車が通っていたのかどうか、月は満月だったのかどうか。川面に橋の影は映っていたのかどうか。川岸の人間は何人いたのか。大人か子供か。絵を説明しようとする限り、具体性というのは永遠に完成しません。したがって説明する人は、何をどういう言葉で説明すれば的確で伝わりやすいのかを、無限に考え続けなければならないことになります。これは疲労と、不安と、冗長さを極端なレベルで引き起こします。

さてこのような苦労は、テクニックが必要やとかコツが要るとかいう単なる技術的な問題ではないです。これは、「違う論理空間の間で翻訳をしないといけない」という、もっと根本的で大きい問題です。たとえば日本語から外国語(英語でもいいです)へ翻訳をする際ですらも、英語にはない日本語独特の文化的背景を補足説明する必要があったりとかして大変で、疲れるし、言葉数も増えざるを得ないわけですが、今目の前にあるのは「日本語/英語」(どちらも言語)の違いよりもっと根本的な違いです。なんせ、「絵」と「言語」なわけですから、全く違うものです。扇風機の風で暗闇を照らす、というようなものです。 

 

「絵」は「絵」のままでいくらでも抽象的になりうる

今回はデモだったので、村上春樹の、すこし小説風の語りを題材にしました。その結果、絵は人物像とか本とかになりました。ところが、哲学とか思想とか経済のようなもっと抽象的な文章を読んだときも、同じように何らかの絵を経由して考えざるを得ないんです。

哲学はどんな「絵」になるのか、というのは当然の疑問やと思います。結論だけ言ってしまうと、もっと抽象的な「絵」です。それはなかなか、平面状にうまく描写できないような、何とも言い難い視覚的・象徴的(シンボリック)な図像です。たとえば今回でも、作家のエネルギーを光る星マークのようなもので表し、それが伝わっていない様子をグレーの星マークのようなもので表しました。このような図像をもっと多用して、かつもっと掴みどころのない感じにした絵を想像してもらえれば、哲学の「絵」とそんなにズレていないと思います。

ただし繰り返しになりますが、そもそも頭の中の「絵」には三次元とか四次元という制約がないので、「こんなかんじ」と言葉で説明することができないような代物です。つまりそんな「絵」によって思考している人間は、自分の頭の中の思考を言葉で説明することが極めて困難です。これこそが、まさに僕みたいな人間が抱える困難さなわけです。

 

なぜ偏見や誤解が生まれるか

今回は所与の文章を理解するプロセスについて説明しましたが、もっと一般的な思考プロセスにおいては、一つの考えから別の考えへどんどんと移り変わっていく必要があります。これを、「普通」の人は「論理的な」繋がりによって行っているやろうと思います。

一方で僕は、ひとつの絵がどんどん別の絵に変換されていくことによって、思考が展開していきます。どういう絵がどういう絵へと変換されるのか、また変換できるのかについては、どういう仕組みなのかよくわからないんですが、たぶん類似性とか、部分−全体の関係とか、何かしらの仕組みがあるように感じます。しかしそれは、いわゆる「論理」とは全く異なります。

したがって、僕が考えるときの思考の経路は、「普通」の人が考える時の思考の(論理的な)経路とは全く異なります。なので他人と何かを議論するとき、それぞれの考えたことを突き合わせる目的で自分の思考を開示しようとすると、話が噛み合いません。「そこ、どう繋がってるの??」「ちょっとまって、いま何の話?」という状況が頻発します。

とはいえ僕のことを個人的に知っている人は、必ずしも常時そういうズレが生じている訳ではない、と思うと思います。それは、僕の方で、「普通」の人の論理それ自体を(これまた画像的に)研究して理解して、それに合わせようと努力しているからです。例えばたまに、良かれと思って「考えたことを、自由に、話してみてよ」というふうに言ってくる人がいますが、あれは本当に困ります。こっちが自然に考えたことを正真正銘自由に語ったとしたら、まったく意味不明で終わるだけであって、議論になりません。新しいアイディア出しにはなるんですが。

言語の側を基準にして考えると、「絵で考えるなどという独特なことをするから、そりゃ難しいわ…」と感じると思うんですが、逆に絵の側から考えて見てください。この絵による思考でも、完璧に理解ができるし、記憶ができるし、自分の頭の中では操作もできるし糧になるんです。問題なのは、それを別の論理空間へと翻訳しないといけないという、たんに “ 外的に ” 、 “ 強制された ” 事情のせいにすぎません。人間のコミュニケーションは言語を解さないと難しいから、このことは確かに仕方ないんです。でもコミュニケーションのために仕方ない、という事実は、思考方法それ自体の有効性・質・能力とは全く無関係です。コミュニケーションという、外側から見える表出だけを見て判断してしまうから、「この人はわかってない」とか、「論理が破綻してて何言ってるかわからない」、果ては「頭悪い」とかいう偏見や誤解が生まれるんです。絵で考える人間の側からすれば、胸が煮え繰り返るほど腹立たしい。

 

これは驚きに値することではないか

さて以上を踏まえれば、今回比較した「普通」の思考方法と「発達障害」の思考方法は、180度根本的に異なっています。今回は例として文字情報の理解の仕方について考えましたが、冒頭に書いたとおり、このような違いが全ての思考プロセスにおいて同様に存在していると考えるべきです。情報の咀嚼、情報の処理、情報の操作、情報の記憶から始まり、意味の解釈、概念の構築、概念の連想、意見の形成まで、思考方法の差異が全面的に支配していると思ってください。

しかし一方で、私たちは一つの同じ世界に住んで、コミュニケーションを(ある程度)うまく行なっています。会話できるし、それなりに議論できるし、意見のすり合わせも喧嘩もできる。同じように、発達障害(高機能)の人は勉強も一応ちゃんとできるし、普段の生活も営める。つまり思考方法が根本的に180度違うにもかかわらず、社会的な世界を共有している。これは、驚くべきことではないでしょうか

このことは、現実の状況を出発点にして考えればそれは当たり前のことのように思えます。しかし行なっているプロセスの違い出発点にして考えれば、両者が当たり前に同じ世界を共有しているのは驚くべきことです。いわば、色覚障害の人とそうでない人が、全く違う世界を見ながらにして実際の生活上は「キュウリは緑。リンゴは赤。」と合意できていることと同じような驚きです。

 

終わりに

発達障害の人は一般的に、「話に脈絡がないけど、よくよく聞いてみるとちゃんと論理的に考えてることがわかる」と言われます。思考が「跳躍」しているとも言われます。個人差があるやろうからはっきりとはわかりませんが、今日書いたことはこれの説明にもなるような気がします。

また僕自身のことに限っていえば、僕は何かを説明しようとして文章を書くと、常に恐ろしい分量の言葉を書いてしまいます(このブログの記事全てがそうです)。それは、「いっぱい書きたい」とか、「少しだけ書くのでは不満」とかではないんです。自分の中の感覚としては、「何かを説明したい」とき、つまり「何か考えたことがあって、言葉にできる気がする」という時のその説明というのは、絶対に、必然的に、膨大な言葉として出て来てしまうんです。なんかこう、自分の「考え」が、それ以外の存在の仕方を知らないかのような感じです。短くまとめよう、とか、少しだけ書いてあとは後日にしよう、とかいう発想自体が、そもそも僕の中には存在する場所がないような気がします。そういう発想は、図1のように言葉で考えている人の発想なんじゃないかという気がします。

つまり、「何かを考えた。そしてそれを言葉にできる気がする」という時は、すでに大きな絵が一枚頭の中に出来上がっているときであり、「言葉にできる」のはつまり、その絵の全体像から各部分まで隈なく意味と相互関係が理解できている時、に他ならないということ。そういう時でないと、そもそも「何かを考えた」とか「それを言葉にできる気がする」という気持ちにならない。そしてそれは、相手に伝わるくらいちゃんと説明できると感じている時なので、そういうときは既に漏れのない網羅的な説明が完成している。だから、「文章長い」とか「メール長い」とか言われるのは、まぁ現象としては正しいんですが、どうしようもないんですよね。長く書く以外、文章を書く方法がないんです。これは、疲れるし、周りに迷惑をかけるし、さらにそれが理由で疎まれるので、自分としても辛いです。

 

お断り

最後になりましたが、以上の記述は全て僕個人の内面的な体感をベースにして、自分で発達障害について勉強・研究したこと及び友人への聞き取りを加味して構築した考え方です。その性質上、一般性・普遍性の担保はできません。とはいえ、個別的なことを徹底的に掘り下げて追究するからこそ開ける地平があると思うので、あえてこのようにしています。また「発達障害の場合の〜」とか「普通の人の場合の〜」と十把一絡げにして書いたのも、この目的のために便宜的に選択した書き方に過ぎず、実際には「普通」という決まったものがある訳でもないし、「発達障害」が全員同じという訳でもありません。その辺りはご容赦ください。

一般論を知りたい方は、出版されている専門書をご覧ください。専門書を通覧していると、逆にこういう個別的かつ掘り下げた記述というのが見つけにくい、ということに気づいてもらえると思います。

発達障害の本人にとって「生きることが辛い」というのは、どういう感覚なのか? 頑張って内面を言語化した結果。

発達障害の人が内面的な体感としてどう感じているのか、生きることについてどういう苦労を持っているのかについて、本人の目から見えるままに言語化した情報というのは少ない。外から見た説明は多いし、それも間違っているわけではないけれども、本人の感覚とは何かズレがある。すこしでも理解が広がるように、自分から見えてる世界を頑張って言語化してみたい。

 

ぐちゃぐちゃで苦痛を伴う「得意・不得意」

発達障害の特徴の一つに、脳機能の得意と不得意の差が激しいと言うのがある。これは表面的には、計算が大の苦手やのに道順を覚えるのはめちゃ得意、みたいな風に現れるから、その程度の問題(問題ですらない)と誤解されやすい。

実際には、本人の体感としてはもっとぐちゃぐちゃで苦痛を伴う特徴である。

 

「計算」というプロセスは、多数のミクロな作業から成る

計算とか道順記憶というのは、いろんな能力を総合して行われるかなり高次の作業やと言える。たとえば14+7という計算するためには、まず書かれてる数字を認知して、次にそれを論理情報として解釈し、その情報を脳の片隅で一定時間記憶しながら、これと同時に並行して、過去に記憶した計算パターンを呼び起こして来てそれに当てはめ、今回の情報を操作して、答えを出す。答えは、鉛筆で紙に書く瞬間まで記憶しておかないといけない。これらを全て恙なく完遂して初めて、「計算ができた」と言われる。このうちのどこか一つでもつっかえると、計算ができなくなってしまう。つまり、計算が不得意な人は、これらの多数の要素の一つまたはそれ以上がうまくできないということである。

道順を覚える作業も、同様に多数の要素から成り立っていることは簡単にわかる。しかし逆に、道順を覚えるのが極端に得意やという場合は、全ての要素が均等に高速に動いてくれるというのとは恐らく違う。むしろ、どこかの要素をすっ飛ばして出来てしまっている可能性がある。上記の計算過程に当てはめて言えば、例えば数字を認知した瞬間に、それを論理情報として解釈したり過去に記憶した計算パターンに当てはめて操作する代わりに、過去にこの全く同じ計算を行った時の答えを覚えてしまってて、まるで悟りのようにすぐ答えが分かってしまうかもしれない。もしそういう記憶力が強ければ、複雑な計算もその多くの部分をすっ飛ばして処理できてしまうやろう。

 

ミクロな脳機能は生活の全てに顔を出し、練習で克服できない

要するに発達障害の人が「得意・不得意の差が激しい」というのは、単に計算とか地図とかの総合的なスキルの問題ではなくて、もっと分解したミクロな脳機能の問題であるということ。その不得意な脳機能や得意な脳機能は複数あるやろうし、各々は汎用的な能力なので、それぞれが日常の様々な場面に顔を出す。したがって、生活の中で広範に影響を持つことになる。さらにそれは、脳機能の問題なので、練習で克服できない部分が大きい。

 

なぜ苦手なのかが全く分からないというモヤモヤ

そしてもっと大きい問題が、別の点に埋もれてる。上記のように計算過程を分解した時に誰しもが感じるように、計算というプロセスは普段は「計算」という総合的な概念でしかとらえておらず、分解して考えた途端に「なるほど確かにそんな風に分解できるかも知らん」と意外な感じがする。つまり分解要素として何が絡んでいるのかは、普段は考えないし、考えても必ずしもよく分からない。だから、計算が苦手な人にとって、なぜ自分が計算が苦手なのかがよく分からない。分解して考えてみよう、と気づいたとしたら少しずつ分かってくるとしても、気づかなければ分からないし、それに気づいたとしても正確なことはよく分からない。要素ごとにテストする実験は現実的に構築しにくいし、思いついたような要素分解の仕方が正しいのかどうかも、よく分からない。

つまり日常の体感としては、「簡単なこと、人が普通にできてる作業が、なぜか自分だけうまくできない。練習しても全く上達しない。しかし、なぜなのかは全然分からない」という感覚になる。

 

なんとかカバーしてくれるからこそ、常に極端に疲れる

さてこういう苦手意識を持って苦労しながら生活していると、人間の脳というのはすごいので、あの手この手でなんとかうまくやろうと工夫をし始める。計算プロセスに再び当てはめてみよう。例えば数字を短期間だけ記憶しておくのができなかったとすれば、何か別の方法で情報をとどめておく方法を、脳が勝手に編み出す。僕の場合は、数字をいちいち棒グラフに変換して、その絵を頭の中で見ながら計算する。こういう代替的な方法(専門用語で「代償」という)によって結果的に、本来苦手な程度よりはマシなパフォーマンスを、出すことができるようになる。

ところが代償は、いわば足で歩けない人が無理して腕で歩いてなんとか移動するようなものなので、本来は適していない脳の使い方やと言える。だから、結果的なパフォーマンスにおいて他人と比べれば、やっぱり劣ることが多いやろう。しかも、かりに同じパフォーマンスが出せたとしても、非常に無駄なエネルギーを使って疲れてしまう。

苦手なのが計算だけやったら、べつにいい。電卓があればいいし、計算に直面する生活場面は多くない。でも冒頭で書いたように、ミクロな脳機能のレベルで苦手があるので、生活のあらゆる側面で大なり小なりうまくできないことがある。そしてすぐ上で書いたように、それら全てにおいて、いちいち代償手段を開発し、エネルギーの浪費をし続けないといけない。例えば典型的には、会話をする際に相手の気持ちを汲み取るのが難しいことが多い。これを代償的手段で補っているとすれば、コミュニケーションにあふれた私たちの人間生活は、その全体が非常に疲れるものになってしまう。なってしまうというか、実際にそうなっているのが、発達障害やと言える。

 

何かがおかしいし極度に疲れる気がする、でも……

改めて強調するが、そうやって疲れてしまったとしても、何が原因で苦手になってしまってるのかが全く分からないという点が重要である。というかそもそも、疲れるなどという主観的な体感は他人と比較ができないので、自分が他人と比べて疲れているのかどうかすら、よく分からないというのが実情やと言える。まとめると、「何かがおかしい、うまくできない、めちゃくちゃ疲れる、でも本当に何かがおかしいのやろうか、これが普通なのやろうか、分からない……」と感じ続けるのが、発達障害の人の人生ということになる。

 

周囲からのトドメ刺し

さらに、ますます問題をややこしくしてしまうカラクリがある。発達障害の人がそうやって疲れてしまう苦手な作業というのがあまりにも日常的なものなので、それらの作業は、発達障害じゃない人たちも含め誰しもが同様に日常的に行なっている。会話、計算、道順、着替え、歯磨き、食事、などなど。その中には、誰しもが「ある程度は」苦手意識を持っていることが、かならずある。発達障害じゃなくても人付き合い(会話)は好きでないかもしらんし、発達障害じゃなくても数学(計算)は嫌いかも知らんし、道順を覚えるのが不得意な人、服を選ぶのがめんどくさい人、食べ物の好き嫌いが多い人は、かならずいる。

したがって「これこれが苦手」と周囲に相談しても、「みんなそんなもの」と軽く答えられて終わる。もし自分が発達障害であると知っていたならば「そういう話ではない」と言えるが、普通は知らないので、本人も「やっぱりそんなものか…」と自分で考えてしまう。そのうち、周囲に相談すらしなくなる。「そんなもの」と自分でも思い込み続ける。しかし、苦手意識、疲労、不可解さは全く消えずにのしかかり続ける。

 

結果 : 自尊感情の喪失 → さらに複雑な過程がいくつも待っている

「誰しもがそんなもの」なのに、「自分だけがうまくできなくて」、「自分だけが疲労してして」、「自分だけがモヤモヤしている」、となれば、その原因は自分のダメさにしか求められなくなる。結果として自尊感情を喪失し、慢性的に自尊感情を欠落した状態で生きている。自信がなく、おどおどして、できることなら逃げたいと常に思っている。

僕の場合はこの先がさらに複雑になる。自尊感情を喪失した結果、なんとか特殊な方法で自尊感情を回復しようと極端な努力をする。学校の成績やったり、特別な実績やったり、褒められることやったり、あるいは輝かしい「生きる意味」を求めて、大変な努力をする。幸か不幸か、このうちのいくつかは高度な「代償」によって成功してきた。それによって自尊感情はある程度修復した。けれどもそれは人工的に作った自尊感情なので、脆く傷つきやすく、それが崩れないかと常に怯えている。もしくは、崩れることを予防的に予期して心理的防衛線を張っているから、相当な根拠がない限りは将来について安心ができない。

他人から見ると、僕は逆に自信に溢れているように見られる。それは正しいとも言えるし間違ってるとも言える。本来的に自信が欠落しているから、人工的にあの手この手で努力して実績を積み重ねて作り上げた自信でしかない。それは脆い。未知の場面に入ったりすると、途端に自信がなくおどおどして、やらかしてしまう。

また同様に他人から見ると、コミュニケーション能力が秀でて高いと見られる。これも、コミュニケーションが本来的に苦手やから、代償的に工夫して築き上げた人工的なスキルでしかない。いわば飛行機の操縦技術を習得したようなものや、と自分では呼んでる。だからこのスキルも脆く、たとえば強制的に見知らぬ機体の飛行機を操縦させられる(=異文化に放り込まれる)と、途端に墜落する。

 

「代償」してやり繰りすることの“代償”、つまり誤解と偏見

苦手なことを、あの手この手で工夫してうまくやろうとすることを、専門用語で「代償」と呼んだ。それはいわば、表面的にうまくできているように見せることを目指す努力、とも言い換えられる。つまり代償に成功したら、表面的には全く問題ないように見えてしまうということである。

しかし内面的には、極度に疲れるということに変わりはないし、脆弱で何かの拍子にすぐ失敗するから怯えてるし、そもそもなんで自分が苦手意識を持っていて代償する必要があったのかという謎は全く解決されないまま残っている。つまり苦痛は残り続けている。

それにもかかわらず、表面的に問題なく見えてしまうからこそ、今度は「苦手や」と説明しても誰からも信じてもらえなくなる。苦手で疲れて苦痛やのに、皆からは全く信じてもらえず、たまに失敗したり逃げたりすると怪訝に思われたり責められたりする。上手に「代償」できてしまったせいで、誤解や偏見といった余分な災いが増える。

 

一体どうしろというのか

うまく代償できなければ苦手で苦痛。うまく代償できれば、やっぱり苦手で苦痛で、しかも誤解と偏見にも苛まれる。

じゃあ、どうすればいいのか。答えがあると思いますか。

答えはありません。発達障害の人にとって、生きることは、それ自体が大きな「罠」のようなものです。生まれた場所に立ち続けていたら苦しい。自分でモガいてなんとかそこを抜け出したら、さらに別の苦しみが襲う。どちらに転んでも災いという、そういう「罠」にはじめから掛けられている。体感として、そう感じながら生きてきました。自尊感情を生み出そうと必死に努力しながら、大きな罠に絡め取られているように感じながら、できることをやっていくしかありません。

 

だから、去年から今年にかけてアメリカで、権力のある人間三人から同時に、その発達障害の特性それ自体を攻撃され、辛すぎて全てを捨てて逃げ去ってきたことは、二つの意味で地獄のようでした。

1.解決方法のない問題それ自体を執拗に、権力者の高みから攻撃され続け、逃げ場を奪われたこと。いわば、火炎の罠の中から這い出ようとした時に、そこに縄で縛り付けられたかのようです。

2.アメリカで大学院に進学したことは、自尊感情を高めることに大きく役立ったわけですが(加えて経済状況としても大きな安心要因だった)、これを権力者が寄ってたかって崖から突き落としたこと。なんとか努力して打ち立てた自尊感情が粉々になりました。

 

僕の場合は、自尊感情を打ち立てる努力というのが人格の大きな部分を占めています。自分のキャリア選択から普段の交友関係まで、これが極めて大きな影を落としている。特にキャリア選択に限っていえば、自尊感情の欠落から始まって具体的に勉強したこと、やった仕事、研究テーマまで、見事にストーリーが描けるくらい、明確にその問題に依存して人生設計をしてしまっている。だから上記の「2.」は、本当に心をえぐり取るような、大きな傷を残しました。

 

以上、読みやすくわかりやすいように書いたつもりですが、どれくらい伝わるでしょうか。すこしでも、発達障害の本人が抱えてる内面的な辛さが理解されれば嬉しいんですが。

 

*7月14日追記* 

「得意」と「自尊感情」が生む問題も重要

上では「不得意」だけに焦点を当てて書いたが、「得意」が問題をさらに(悪い方向へ)複雑化させる。

得意についても不得意と同じように、本当はミクロな脳機能の問題であるけれども、現実には生活の中の様々な場面において総合的な作業の得意さとして現れる。たとえば文章を書くことが得意、アイディアを出すことが得意、というように。

ここで上記の自尊感情の問題が入り込む。自尊感情が欠落しそれを常に人工的に構築したいと願っている発達障害の人間は、何か得意なことがあればそれを伸ばして自分のアイデンティティにしようとする。なので積極的にその能力を発揮し、またそこにプライドを持つ。ともすると、人に対して誇ったりもしてしまって不興を買うこともあるかもしれない。

 

すっとばしてしまうことで、他人から理解されなくなる

さて改めて振り返ると、本文に書いたように、この得意さというのは総合的な作業の中で何かのミクロな脳機能をすっ飛ばして実現されていることやった(たぶん)。得意であることを他人との関係において発揮する時、この「すっとばし」が問題になる。

僕の場合は、思考を、言語でなくイメージを媒介にして行なっているという特徴がある。他の普通の人がどういうふうに思考しているのかを知らないので自信はないけれども、たぶんそう。言い換えると、論理を言葉(言語的な概念)で繋いでいく代わりに、抽象的もしくは具体的なイメージをメタファーにして、その連続的な変換や操作によって思考しているということ。今思いついた例えやけど、「図をベースにして作ったパワーポイントで思考している」と言えば結構近いかもしれない。もちろん言語も使うのだけれど、おそらくその割合が他人より際立って小さい。

イメージで思考すると、言語で思考するよりも大股で論理空間を闊歩できる。一瞬で遠くのアイディアを引き出してきて繋げられるし、言語で考えていると思いつかないような発想が日常的に得られる。自分の感覚としては、こういうふうにして得た思考は「奇抜」な発想というわけではなくて、その整合性や的確さは、論理と言語で繋いで考えた他の人たちの思考と同程度のように思う。

しかし問題なのは、この思考方法が他人から見て理解できないということ。したがって僕は「何か変なことを言っている」と思われがちやし、自分では他人と同程度に確信のある考えについても他人から理解・支持を得られない。

他方では、分からないからもう少し説明してくれと言われると、言葉で説明しようとしても必ずしもうまくいかない。過去に得た情報を根拠にしていても、その情報は自分の中にイメージとして記憶してしまっているので、根拠をうまく言葉にできない。論理もイメージを繋いでいるだけなので、飛躍やと思われる。とにかく全般的に、説明しろと言われると「ごにょごにょごにょ」となる。

「すっとばし」の脳機能の例は発達障害の人の中でも様々やろうけれども、この例でわかる通り、要するに座標軸や住んでる空間みたいなものが他人と違って噛み合わないということ。しかし一方で、上に書いた通り、本人はその得意なことを自分の自尊感情のための重要な要素と捉えがちで、そこにプライドを持つ。だから周囲との噛み合わなさが、本人の体感としてますます増幅して感じられ、理解されないという疎外感や孤独感につながる。これによって、自尊感情の欠落との間の負の連鎖が起きるように思う。

*追記終わり*

アメリカ人はなぜ虐待に向かったか。回復しつつある今、負の感情を言語に置き換える。それによって分かることと、それでも無くならないもの。

回復するために役立ったもの(時間、メガネ、筆、言葉)

最近、やっと少しずつ、心が回復してきたのを感じる。要因は四つあるように思う。

一つ目は、時間。心にナイフを突き刺されたように痛く、自分の心がドクドクと流血しているのを感じていても、時間が経つことによってだんだんと傷口は自然治癒してナイフはポロリとはずれ落ちていくようやった。傷口は、昔10針くらい縫った指の切り傷のように治癒後もデコボコと膨らんで傷跡を残し、かつてそこに起きた惨状を知らしめてる。指の傷跡を触れば今でもヒリヒリするのと全く同じように、時間によって自然治癒した心も、ふとした拍子に嫌なことを思い出してしまうと、苦い気持ちになる。

二つ目は、前回のポストで書いた、読む速さを上げる自分独特の工夫を発見して、それ以来寝ても覚めても読書を続けた結果、これまで読みたかったのに読めずに積み上がってた本が(依然遅々たるものの)ほんの少しだけ解消され、このまま長い時間続ければ以前よりは少しは読んでいける、という実感を得たこと。読みたいのに読めなくて積み上がっている本というのは、僕にとっては、自分の精神的活動と精神的生命力が、読む遅さのために制約され、手を縛られて狭い箱の中に押し込められているのと同じこと。読む速さが少し(最大2倍くらい)上がったことによって、知的精神的な意味での自分の生命力が、以前より2倍くらい広い活動の場を与えられた感じがする。ただし依然として全く不十分。これの5倍10倍は早く読めないと、自分の知的な生命力に見合った広さとは言えない。いずれにしても、心の傷からの回復のためには、意義があった。

三つ目は、ある創作活動を試行的に始めたこと。それが何なのかは恥ずかしくて書けないので、仮に「絵を描くこと」と呼ぶことにする。自分の持ってる精神的な生命力は、これまで学問的な知的活動という形式で発揮することを目指していた。学問的活動というのは、その最も本質的な部分は知的創造性と知的想像力に負っているわけやけれども、現実的なプロセスとしては、多くの本を読まないといけないっていう要件(やその他の色々な現実的要件)によっても規定されてる。絵を描くによって、自分の知的創造性と知的想像力を、この現実的要件から解放できるかもしらん。その精神的な生命力を、読書、論文、討議、出版、みたいな現実的な要件の制約から(完全にではないにせよ)少し解放して、直接作品として結実させることができるかも知らん。試行的に絵を描き始めてもすぐに結実するわけではなく習熟が必要やし、絵を描くことに伴う固有のハードルも多い。でも、自分の精神的生命力に活動の場を与える手段として、何か代替的な方法を見つけて試みてみるというのは、すごく前向きなこと。その前向きさが、心の回復にとって意味があった。

四つ目は、アメリカの大学院で経験した辛い出来事というのが何やったのか、を考えるとき、それは「虐待」やったんやと、的確に表現する言葉を見つけたこと。これまでは、教員や支援スタッフが「悪魔や」とか、「道徳が崩壊してる」とか、人種差別者やとか自己正当化的な攻撃やとか、色々な言い方を試みてみたけど、自分にとってはどれもしっくり来ていなかった。自分が経験した非道性をちゃんと表現したいけれども、ベストな言葉が見つからず、すこし外れてるけど遠くはないような表現をいっぱい並べて、なんとか伝えようとしてた。でもやっぱり完全には表現できていない、という感じがあった。ごく最近、それが「(精神的・心理的な)虐待」やったんやと思い当たった。それは簡潔で、簡潔なのと同じくらい、的確な表現やと思う。

虐待という言葉を見つけるのに4ヶ月もかかってしまったのは、虐待を受けていたという事実それ自体と関係しているように思う。その辛い経験のことについて考ようとしても、心が傷ついていることが原因となって、その記憶を何か非言語的な恐怖・衝動・憎悪の感情としてしか扱うことができひんかった。それを客観視する言葉が、どうしても出てこうへんかった。ごく最近になって、上記のような経緯で心の傷が少しずつ回復し始めると、それに伴ってこの言葉も自然に出てきたんやろうと思おう。そして正のスパイラル的に、その言葉が出てきたこと自体がまた、自分の気持ちを整理するのを助けたと思う。

 

アメリカ人を虐待に向かわせたもの

その虐待をした人間たちは、罪深いと思っている。自分たちの罪を認識せずむしろ「正しいことをした」くらいに思っているやろうことは、司法のような第三者的権力によって裁かれるに十分値する罪やと思う。しかし僕には訴えるべき司法機関もないから、ただ悔しさを押し殺して堪えて、忘れるように努めて生きるしかない。要するに泣き寝入りするしかない。それは、声を失うくらい不条理なことやし、記憶喪失になりたいと願ってもなれずに苦しむ。不条理やと叫びたい気持ちは微塵も減っていないが、ここではやめておく。

しかしそれと同時に、その罪人たちが何故あの人ではなく僕に虐待をしたのか、何故いつもそうであるわけではないのに僕に対しては虐待をしたのか、という観点からは、幾つか背景が挙げられると思う。

権威主義と人種差別

一つ目は、アメリカのエリート社会における権威主義

大学院でアメリカ人を見ていて一つはっきりと感じたことは、日本の大学と比べて、教員が学生に対して「お前らは今は無知で価値がない。指導に従ってただ学べ。」という雰囲気が支配していること。

日本の大学では一貫して、教員が学生の発想やアイディアを尊重しているのを感じていた。日本の先生らは、進んで学生の意見を聞き、学生がうまく話せないときは努めてそれを引き出そうとしていた。これには僕は、逆に違和感というか、気恥ずかしさというか、強い遠慮の気持ちというか、買いかぶられていて居心地が悪いというか、そういう感覚を常に抱いていた。

その感じを自分の大学社会の原体験として持っていたから、アメリカ人の雰囲気は極めて不快やった。こちらの言うこと為すこと全てを、いちいち「こいつらは無知」という前提で解釈するから、言いたかったのではないことを受け取られて「それは違う」と言われ、意図したのと違う行間を読まれて「そういう考え方はよくない」と言われる、そういう繰り返しやった。日本では全くの正反対で、よくわかっていないまま発言しているのに「なるほどおもしろい」と言われ、特に高潔な意図もなくしたことを「えらい」と言われる、そういう感じやった。アメリカ人は不快やった。

ただし、僕ではない学生、例えば白人のアメリカ人学生に対しても、この教員たちが全く同じ行動をとっているのかどうかは、残念やけど疑わしいと思う。授業中の様子を見ていても、まるっきり見当違いなことばっかり言っている白人のアメリカ人学生に対して同じ教員が妙に楽しそうに嬉しそうに、優しく擁護的に対応しているのは、目に余る様子やった。僕への対応とは、全く、留保の余地なく全面的に違っていた。

あるいはこれは「人種」差別というよりかは、もっと正確に言えば「特定の言語圏文化至上主義」なのかもしらん。アメリカ人にとって、自分たちの英語圏文化はピラミッドの頂点付近に位置している。英語を喋っている限り、発言が加点方式で評価され、英語がうまくなければ、減点方式で評価される。外国語の中でもフランス語を筆頭に西欧言語は尊重され、アジアの言語は卑下される。最初のオリエンテーションの時に学科長が(上記の、白人アメリカ人学生へ優遇的な態度だった人)、外国語の試験を各学生がパスしないといけないことを説明する際、何の躊躇もなく「科学的言語」ならどれでもいいと言った。そのあとすぐに、「科学的言語というのは、その言語でアカデミックジャーナルが十分に出版されているかどうかということです」と説明した。その説明の論理自体は筋が通っているけれど、その発言の裏には、特定の言語文化圏を価値の低いものと卑下し、特定の言語文化圏を価値の高いものとして称揚する発想が露骨に見えている。その峻別が、学生に対する時の減点方式と加点方式の差別化へ繋がっていく。

イギリスの大学の先生らは、そんなことはなかった。もっと多様性にオープンで、公平やった。それは、イギリスの中でも特に国際都市ロンドンやったこと、大学自体が極端に留学生が多い大学やったことなども、関係しているかも知らん。

自閉症スペクトラムを持って文化圏を渡ること

二つ目は、自閉症スペクトラム的(発達障害的)なミスコミュニケーション。

自然なコミュニケーションを苦手とする発達障害的な傾向によって、僕は思春期からこれまで一貫して、コミュニケーションを、意識レベルでの知的な活動として学んできた。それはいわば、飛行機の操縦を20年かけて自己訓練したようなもの。そうやって身につけたコミュニケーション能力は、非言語的・超文化的な共感とか、普通の人が思っているような無意識のコミュニケーション能力ではなくて、ごく技術的なルール・スキルに関する知識の集積でしかない。それは結果として、その訓練を行った場である日本の文化的な条件、文化に固有の環境に強く限定づけられている。つまり、自分が延々と繰り返して操縦を練習した飛行機、その特定の機体の固有の特性や機能に、特化されている。

異文化に行くと、この訓練の集大成としてのコミュニケーション能力が、突然役に立たなくなる。他人の飛行機(もしくは全く違うヘリコプター)の操縦席に座ると、操縦桿も違えば機体の特性も違う。この問題が、アメリカで顕著に表面化したように思う。

そのようにして僕は、アメリカにおいて、コミュニケーション能力が極端に劣った人間として集団の中に現れたんやろうと思う。互いの意思疎通がうまくできない。そうすると、差別的に減点方式を採用されるという前提の上では、全てがうまくいかなくなる。理不尽に誤解されることによって僕はムキになり声高に何かを主張・説明しようとし、それを聞いた相手の教員は違和感を感じてますます悪い印象を持ってしまう。悪循環やったと思う。

ちなみにベトナムに1年近くいた時も同じ問題が出てきてたけど、ベトナムでは単なる交換留学生で好き勝手な生活をしていればよかったから、具体的な問題へと繋がってしまうような圧力というものが弱かった(成果も適合性も求められない)。ベトナムでのホストファミリーとの関係では、アメリカで経験したのと全く同じような齟齬が頻繁に起きて、非常に辛い思いをしたけれども、何かの取り組みを中断したり辞めたりしなくてはいけないという立場ではなかったので、そのまま辛い思いをしながら逃げたり隠れたりしながら何とかやっていけた。結果的に、交換留学の学期が終わるや否や、逃げるようにして帰国した。当初は、そのあともビザを延長して数ヶ月滞在しようと思っていたけれども。当時このことは、自分にとって大きな挫折やった。そしてアメリカにおいて、もっと大きな形で同じ挫折を味わうことになった。

不寛容と異文化摩擦

三つ目は、不寛容と密接に関連した異文化摩擦。

アメリカ人にとっては、大学社会における世界の秩序というのは一直線の発展に沿った序列関係でしかなく、異なる考え方に基づいた固有の価値や、違うものを違うものとして育てる意義といったものは、全く認知されていない。そんなものは存在しない。ただそこにある、明確で絶対的な唯一のアメリカ的価値に基づいた発展の経路を、粛々と辿らないといけない。というか、そういう道しか存在していない。

外国人は、アメリカに足を踏み入れた瞬間から、「一人前のアメリカ的市民になろうと努めている者」とみなされる。「アメリカ的市民ではなくて日本人やけど、アメリカのこともちょっと知ってみたい者」とか、「アメリカは嫌いやけど、仕方ないからちょっと来た者」とかであることは、決して許容されない。アメリカの大地に立っている限り、「アメリカ市民」であるか、そうでなければ「アメリカ的市民になろうと努めている」のどちらかしか許されない。旅行者として街を歩いているだけでも恐らくそうやろうし、まして組織に属して居留し生活している限りは、日々のあらゆる場面において周囲の人たちがそのように想定する。

だから僕のように、もとからアメリカに良い印象を持っていなくて、学位とお金だけもらってサッと帰ろうとしている人間というのは、手痛い仕打ちに会うことになる。自分の出自に基づいた嗜好、やり方、考え方を表現するたびに、アメリカ人からはそれを異質なもの、異端なものとみられ、それだけならまだしも、高い確率で「間違ったもの」と見られる。そしてアメリカ人(エリート)の「リベラル」な正義感によって、攻撃される。

この問題は、異文化摩擦の問題であると同時に、アメリカの不寛容の問題でもある。

大学の地位、僕の地位

四つ目は、人類学におけるその大学の位置づけと、教授陣から見た僕の位置づけ。

僕が行ってすぐに辞めた大学は、東部にあるアイビーリーグの大学やった。その大学は政治学歴史学社会学、経済学、数学、物理学といったいくつかの主流の学問分野において、アメリカの中で傑出した存在であるどころか、世界的・歴史的に見て突き抜けて優れた業績と地位を確立している。その大学名も極めて高い威信を持っていて、アイビーリーグの大学の中でも特に際立ったオーラのようなものがあると思う。

ところが人類学においてこの大学は、政治学歴史学のように世界的な名声があるわけではないどころか、アメリカの外で知られている学者なんてほとんどいなし、過去にもほんの1〜2人しかいたこともないはず。アメリカ国内でもたぶん、たいして尊敬もされていない。でも大学自体が極端に潤沢なお金(寄付からくる財源)を持っているから、他の学科の水準に引き上げられて、この人類学科の教員の給料も恐らく相当高い。そしてもちろん、大学名それ自体の名声は高い。

このことから僕が、現場で感じた雰囲気も踏まえて想像していることが二つある。まず、ここの教員たちは幾らかの程度、刺激的で競争的な研究環境かどうかという基準よりも、高い給料と名前の良さを求めて、この大学で働いていると思う。言い換えると、業績や競争力がそこまで高くない研究者が、給料と名前に安住してこの大学に来たのではないか、ということ。想像している二つ目のことは、一つ目のことの結果として、ここの教員たちはかなり二流の人たちなんではないかということ、そしてそれにもかかわらず、高い給料と名前の威信を借りて傲慢に振舞っている人たち、傲慢に振る舞う傾向がある人たちなんではないか、ということ。

本来、本当の一流の人たちというのは、たとえアメリカであっても「アメリカ的な一直線の発展経路と序列しか認めない」というような非寛容的な狭隘な思想は持たないはずやと思う。自分自身が一流の人たちから落伍して、そこに引け目を感じ、もがいているからこそ、自分より下の人にもその単一的な価値観を押し付けるんやろうと思う。この大学の人類学の教員たちは、だからこそ高い給料を得て満足し、威信のある肩書きを得て自信をつけているんじゃないか。

そういう人たちにとっては、毎年入ってくる学生というのは、その学生が持ってる価値を高めて知的創造に貢献できるよう育てていく、といった、本当の一流の研究者・教育者がやる取り組みの対象ではない。その人たちにとって学生は、自分の価値を高めるために利用する資源でしかない。自分が教えることによって、自分のシンパが増えれば良いし、もしその学生が成功したら自分の業績になる。相手の価値を高めるなどという発想がそもそもないから、自分の持っている狭隘な単線的な価値基準だけで学生をジャッジするし、その価値基準において無価値に見える異分子は、ただ排除すれば良い。それを擁護し支援する合理的な理由など一つもない。もっとほんまに一流の研究者が集まってる大学なら、同じ結果にはならへんかったかも知らん。

人類学と地域研究、普遍性と固有性

五つ目は、自分の学問的指向性がアメリカの人類学とあまり合っていなかったということ。

人類学というのは一種の矛盾を孕んだ学問で、それは(研究者から見て)特異な社会の仕組みを明らかにするという目的と、特異な社会の仕組みを明らかにすることを通して人間の普遍性を突き止めるという目的を、同時に目指している。その二つは厳密には両立しないので、研究者個人や学派によって、どちらに重点を置くかが違ってくる。

アメリカの人類学は圧倒的に普遍性を求める学問やと(前以上にはっきりと)感じた。そしてその普遍性は、西洋中心主義的な意味での、アメリカを中心に置いた価値基準に照らして他の社会を検討するというもの。アメリカの人類学者は、究極的に他の社会それ自体への関心が非常に薄く、関心があるとしても自分たちの「(普遍)理論」を構築するための道具としてしか見ていない。このことの一つの傍証が、アメリカにおいてはアメリカ自体を研究する人類学者が異常に多いという事実がある。もちろん日本でもイギリスでも、自分たちの国自体を研究する(日本ではそれを民俗学と呼ぶのが長らくの慣習やった、最近変わって来てるが)人たちは常に一定数存在するが、アメリカはその割合が際立って高い。普遍性を目指すアメリカ人にしてみれば、結局目指すところが社会の固有性に制約されない理論なのであれば、なぜわざわざ難しい外国語を苦労して習得してまで地の果てまで飛んで行って頑張らないとあかんねん、自分たちの英語が世界共通語やのに、そしてしかも自分たちの社会こそピラミッドの上の方に立ってる複雑で高度に発達した価値の高い社会やのに、と考えるのは自然やろう。

一方で僕自身は、普遍的な定式化で捉えきれない地域性、文化の固有性といったもの、下手をすると言語で捉えることすらできない存在の固有性みたいなものを、かなり根源的なレベルで尊重してる。これは、学問分野でいうと地域研究というやつに近い。あるいは、「地域学」という造語で呼んだ先生もいた。この考え方は、一見すると人類学の目的と似ているようやけど、実はその人類学をやる人の重点の置き方次第では、水と油みたいに極度に緊張を孕むものになってしまう。

ベトナムを研究対象にしている僕の場合、ベトナムの固有性に着目している。一方で、ベトナムについて人類学的な研究をしている学者というのは、世界的に見ても極めて少ない。同じ東南アジアでもタイやインドネシアついては無数の人類学者がおり、東アジアで見ても中国、韓国、日本についても無数の人類学者がいるのに、ベトナムについてはなぜか奇妙にも人類学者が極めて少ない(ちなみに、政治学、地理学では他の地域と同等にたくさんいる)。この理由の一つは、研究対象としてのベトナムそれ自体が、実は普遍性指向の理論研究に抗うような、強い固有的性質を持っているからなんじゃないかと、なんとなく感じ始めている。それはベトナムにいた時の自分の観察でもそうやし、歴史について勉強していても感じることやし、そもそもベトナム人自身が自分たちを固有のものであると(特に、西洋に対立する形で)認識し主張する傾向が非常に際立ってる。

ベトナムがそういう社会であるからこそ自分は、固有性に関心がある者として、ベトナムに興味を惹かれたんじゃないか。と同時に、自分の指向性の面でも研究対象の面でも固有性・地域性に傾いている人間がアメリカに渡った時、普遍性を目指す理論体系の中で生きている教員たちから見ると変な、特異な、あるいは奇異で頑固で分からず屋な存在として映ってしまう。そして、互いに不信感と無理解が増幅され、排除すべきという無意識の攻撃性と見事に結合してしまったんじゃないか。

お金を握られること

六つ目は、お金の所在。

この大学に入るたぶん全ての大学院生は、五年間の生活費と学費を大学から支給してもらえることが保証されている。それは「無償」の奨学金みたいなもの。

ただし名前は「フェローシップ」と呼ばれ、奨学金とは決して呼ばれない。僕は、奨学金のようなつもりでいた。しかしその違いが、実は根本的に重要やったんじゃないかと思う。

それは大学院という研究機関のフェロー(連携者?)であるという身分と、その身分に基づいて特定の何かをすることに対してお金を支給する、いわば仕事に対する対価なんやろうと思う。仕事というのが博士課程の勉強やと考えれば、それは変な話やし、やっぱりそれは奨学金ということやろうと考えてしまう。でもそうじゃなくて、博士課程の五年間を通して教員の指導を受けながら「勉強・研究」することを通して、学生の中に特定の何かを形成し、発展させ、そして最終的には大学院に対してメリットとなるような何らかの成果を出すことを期待されている。五年間のフェローシップはその対価に過ぎひん。

フェローシップをもらう代わりに自分の中に作り上げる特定の何かと、最終的に生み出す何かというのは、つまるところ、このアメリカという社会にそぐわしい考え方を持った研究者としての資質、アメリカのエリート社会の一員として恥ずかしくない「常識」を身につけた人間としての価値観、そしてそれらを体現しつつ、アメリカの知的階級の中で評価されるような論文(それは同時に、その大学にとっての商品にもなる)を生み出すことなんやろうと思った。

その対価としてのお金をもらっている限り、学生は知らず知らずのうちにそのベルトコンベアの上に乗せられて、「勉強」をしながら立派にアメリカ的知識人になっていく。そして、仮にそのアメリカ的知識人の考え方、やり方、価値観を拒否し自分の出自に拘るような学生がいたとしたら、その人はフェローシップという対価を支払うに妥当しない人間ということになる。その中では、学生はただただ押し付けられる価値観を受け入れ、その枠組みに自分を押し込めていかないといかない。自分自身でありながらかつフェローシップを受け取るということは、論理的に背理している。

そういう風にして、日本人でありそのことを大事にしていて、自閉スペクトラム傾向があって変で、かつ学問的な指向性においてもアメリカの人類学とは少し違った考え方をもった学生である僕は、全く受け入れがたい存在であったんやろうと思う。

僕自身、上で書いたような教授陣の「お金と名声」欲と同じで、五年間もフェローシップを保証してくれるし、しかも(人類学ではパッとしないと知りながらも)大学の名前が有名やから就職にも有利やろうと、そういう理由で、この大学へ喜び勇んで入学した。ほんまの一流の大学にも出願してたけど、そっちは不合格やった。だから僕自身も、教授陣を非難する資格がないというか、非難してもただの負け犬の遠吠えになってしまう。ただ、読書スピードの問題をもし今後何らかの形で克服できるなら、もっとほんまに一流の大学に入れてもらって、しかも実力と業績でもって、自分のありのままの姿を相手に受け入れさせるだけの力を持った存在になっていける気がする。それは、この大学に入って来ている人たちの水準を見ても感じた。ただしその場合は、今回自分が気づいてここに書いたようなアメリカや学者世界一般の特質を踏まえながら、挑んで立つ相手は慎重に選ぶべきやろう。はなから自分でゲームのルールを設定し、不利とわかると勝手にルールを変えるというような、そういう人間も存在するってことを感じた。そんな奴らに勝負を挑んでも、何の得もない。

 

 言語化することと、消えない罪

そういうわけで、心の傷がすこしずつ回復しつつある今、これまで抱いていた極度に強い負の感情を何とかうまく言葉に変換して説明してみるなら、以上のようになると思う。

しかし、たとえどんな背景説明や客観的解釈が与えられたとしても、あの教員とスタッフたちの罪は微塵も薄らぐものじゃない。一人の学生を笑いながら虐待して排除し、そのあとに本人がいないところで残された学生に対して「彼はここではやって行けなかった」と高らかに、正義感に溢れる「リベラル」の笑顔と「公平性」でもって宣言するあの教員とスタッフたちは、その被害者がどんなふうに乗り越えて行って言語的に消化をこなして行っても、その罪は決して無くならない。もしこれに疑問を呈する人がいるなら、極端な例やけどホロコーストのことを考えれば良い。ホロコーストが、官僚機構の合理的な組織機能的特性と、そこに属する個人個人の職務への責任感との二つに還元して説明されたとしても(バウマン『近代とホロコースト』)、その罪への責任がなくなるわけでは全くないというのと同じや。

僕は結果的にはこうやって辛い経験を乗り越えていくわけやけれども、その途中で、まだ負の感情に支配されてる時に、何人かの人から「そんな風に悪く言っても何にもならない、乗り越えていかなければ」とかいうことを言われた。その人たちは、虐待されて傷つき瀕死になっているという状態が、本人の経験としてどのような悲惨なものであるかを全く分かっていない。そして、おそらく分かろうとする気持ちもない。内面的な共感のないまま、そうやって“正当”で“前向き”な言葉をかけることによって、そういう人たちが結果的に行なっているのは、虐待をした人間が社会的にのうのうと存在し続ける現状を肯定することに他ならない。つまり、そういう良い人ぶった“励まし”は、虐待をした張本人たちの罪と同質の罪やと思う。程度は小さいにしても、質的には同じものやと思う。

しかし僕自身も、仮に知り合いとか友人がそんな状況に陥ってたら、全く同じような“励まし”をしていたかもしれないと、簡単に想像することができる。きっとしていたと思う。非常に残念なことやけど、この類の心の傷やそれに伴う負の感情というのは、一度経験しないと分からへんのかもしらん(そして、自分の経験したのと違うものは、自分のに引きつけて考えてしまう)。その傷を「乗り越えよう」と軽々しく言った人に対してその罪を弾劾するときは、自分の中にもある同じ罪を弾劾するようにしたい。

ただし、例の教員とスタッフのような虐待行為は、自分は死ぬまで決してしないつもりやし、したらあかんし、それを自分の中にも眠ってる罪やと思うことは決してない。あれはほんまに異常や。アメリカは腐ってる。

右目を隠せば読書が速くなるというシュールレアリスムと、トレードオフされる諸能力を巡るレアリスム、そして脳と閃きの神秘について。

夢の中で、雲の上に迷い込んだ。自分の後を追って、大集団がぞろぞろと迷い込んできた。降りたいなぁと思って、下に見える海と海岸線をのぞいてたら、雲から落っこちた。自分一人じゃなくて、もう一人の人と一緒に落っこちた。パラシュートなしのスカイダイビングを図らずもしてしまい、あぁもう死ぬと思った。でも海に着水する少し前から、一緒に落下しているその人と空中で抱き合って、着水する瞬間まで力の限り叫び続けた。そうしたら衝撃に耐えられて、海水も飲んでしまわずに済むかと思って。

気づいたら、陸の上で救助されて、乗り物に乗せられてる。自分の後から次々と、雲の上から落ちてきて救助された人たちが乗ってきてる。助かったことの嬉しさよりも驚きよりも安堵感よりも、まず何よりも「助かった」という事実そのものが、深い深い感慨とともに心に押し寄せた。あぁ、助かったんや、と。向かいに座っている、後から落ちてきて同様に救助された顔見知りの人を見ては、「あぁ、助かったんや」と、自分のこととも人のこととも言えない唯々深い感慨をもう一度確認した。

そんな夢を見てから、朝、目が覚めた。あれは夢やったんや。そう思う一方で、あの「助かったんや」という事実を確認したときの感慨の深い深い奥行きは、間違いなく正真正銘の、生きた心の動きそのものやった。夢から覚めても、まだありありとその心の機微を思い出し、感じ取れることに、すこし感動した。そんな感動を味わいながら、夢の余韻と、布団の暖かさを楽しんでいた。

 

そのとき、急に閃いた。

右目と左目で、何か違う能力があるんじゃないか。書かれた言語情報を視覚的なイメージに変換してしまう自分の特徴について考えてきたけど、そういえば脳には右脳と左脳があって、右脳優位みたいな言葉もある。首より上では、顔の右半分が右脳に、顔の左半分が左脳につながってるという話をどこかで聞いた。そういえば学習能力検査を受けた時に、左右それぞれから音を聞いて反射的にボタンを押すという検査項目があり、その結果として「右耳の反応が左耳と比べて僅かに遅い」と書いてあった。目についても、右目で視ると左目より僅かに遅い、かもしれない? 言語情報を言語のまま受け入れられないのは、右目から右脳へと情報が入ってしまうから? 左目だけで見たら、情報を直接左脳へ送り込んでくれるんじゃないか?

ということで、布の切れ端を探してきて、右目を隠した眼鏡を作った。布団の中でなぜ急にこれを閃いたのかは、全くわからない。閃きというのは、そういうものです。

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これで、読書をする。普通に考えて、そんなアホなことがあるわけがない。わざわざ片目を隠して読書して読みやすいわけない。もちろん自分でもそう思いながら始めた。

ところが皆さん、存分に驚いてください。

これで読むと、スピードが2倍速くなってる。

この片目眼鏡で日本語の本を読むと、最初は1時間に20ページくらいやって、慣れてきたら25ページを超えてきた。英語やと、7.5ページとか10ページとか読める。これまでは日本語で10と数ページ、英語で3ページが平均的な速さやったのと比べて、2倍以上の速さになってる。そんなこと、あるんかな。

あまりにナチュラルにそのくらい読めてしまって、何かの勘違いがあるんじゃないかと、何回も疑った。でも、半年くらい前から何度も何度も執拗に読書スピードを計測して、いつでもコンスタントに(英語なら)2〜4ページ、(日本語なら)10ページとちょっとやったことは、今になって急に否定することはできひん。逆に、いま1時間に25ページ読めてしまっていることも、まさに眼前で起きていることなので否定のしようがない。時計をチラチラ見ながら、読み進めたページ数を引き算すれば20〜25ページくらいになる。また、ある本(240ページ)一冊をまるまる読むのに1日とちょっと(だいたい12時間くらい?)しか掛からんかったことを考えても、1時間に20ページくらい読めてることが分かる。数字を見れば間違いなくその変化が起きてるのに、体感としてはあまりにナチュラルに起きてしまっているので、自分でも狐につままれたような気分や。

 

さらに、これをやり始めてから、次から次へと面白いことに気づく。

まず、片目眼鏡をつけると、どれだけ読書しても頭が疲れない。昔からこれまでずっと、読書はホンマに頭が疲れる作業で、苦痛やった。これまでは20分くらい読んだだけで、まるで2000㎞走ってスタミナが切れた時みたいに脳味噌がバテてしまい、洗面器からブハァーっと顔を上げるようにして本を机に置き、脳味噌の休憩を求めて何か無関係のしょうもないことをせざるを得ない(したがってフェイスブックやメールボックスを頻繁に開けてみる)、ということを延々と繰り返していた。それが、この片目眼鏡をつけると、何時間ぶっ続けで読書してもその疲労感が訪れない。事実、自分の中の体感としても、片目眼鏡で読書をしている時は全然頭を使っている感じがしない。したがって、脳みそのスタミナ補給のために常に摂取していた飴やチョコレートは、片目眼鏡をつけて以来ほとんど摂らなくなってる。箱買いした「白いダース」が、それ以来減っていない。あるのはただ、映画を観終わった時のような躯体の疲労感だけ。

それもそのはずで、左目だけで文字情報を追う読書は、これまでの読書体験とは明らかに根本的に異質な作業やと、実際の体感として感じる。言葉が、その意識的な解読を要求することなく、スッと、そのまま頭に入ってくる感じがする。こういうことを体験したことはこれまでにもあったかも知らんし、特に会話とかでは無意識に体験していたかも知らんけど、でも読書という形式の知的作業の中で一貫して連続的にこの「スッと」入ってくる感覚が続いたのは、記憶の限り一度もない。急に体が宙に浮いて空を飛んだかのような、スムーズで、楽チンで、心地よくて、そしてすごく不思議な体感。ほんまに驚いてる。

この感覚を体験した今となってみれば、これまで「文字情報を視覚的なイメージに変換してしまっている、ような気がする…」と自信なく曖昧に表現していた自分の両目読書の行為が、この片目読書の行為と比べれば決定的に、根本的に、もう絶対的に異質なものであるということが、ありありと自信を持って分かる。

そしてその片目読書の側に立ってみて、もし自分がその片目読書の体験しか知り得なかったと想像した場合、自分自身がかつて行なっていた両目読書の行為をもしも他人から説明されたとしたら(「視覚的イメージうんちゃらかんちゃら、1時間に3ページうんちゃらかんちゃら…」)、そいつが何を言っているのやら皆目見当もつかないやろうと思う。それくらい、片目読書の体感と両目読書の体感は、質的に根本的に異なってる。誰にも分かってもらえないのは、ある意味で当然とも言える。

 

読書スピードの遅さについて悩む中で気づいた自分の特徴の一つに、現代思想のような抽象的な言語表現がどうも理解できない、ということがあった。現代思想に限らず人類学でも、本の本論部分は具体的な説明があるから分かるのに、導入や結論部分は抽象的な言葉が多いので、よく分からんことが多く、半ば理解を諦めていた。そしてそのことは、自分が言語情報を視覚的イメージに変換して読んでしまうという仮説と密接に関係しているように思っていた。

そこで、これについても片目眼鏡で何かが変わるかどうか、試してみた。すると、またしても驚くべきことに、抽象的な表現の言葉がスラスラと分かる。日本語では、『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」で試した。これは、昔に読んだ時に意味がわからず放棄したことを、今でも覚えているから。これが、昔読んだ時の感覚とはまるで違って、分かる分かる。もちろん、『野生の思考』の思想史的な文脈(具体的にはサルトルの著作とか)を十分には知らないので、わからない箇所も結構ある。しかし昔読んだ時の感覚と比べると、まったく違う。読んで分かるから面白いし、ワクワクしてしまった。

でも昔この章を読んだ時から今までの間に、かなり色々な勉強をしたわけで、知識量的に理解の準備が進んだから分かっただけではないのか、とも疑った。

そこで、別の本でも試してみた。約1年前に読んだ本を二つ取り出してくる。シカゴ大学の人類学者が書いたBiocapital: The Constitution of Postgenomic Life(邦訳:『バイオ・キャピタル)の序章(理論的な展開を行なっている章)を読んでみる。1年前には邦訳で序章だけ読み、本文は英語で読んだ。その時の序章の印象は、「マルクスフーコーやを引用して、なんか難しいことを言ってる。よく分からんけど、翻訳者も興奮して訳者解説を書いてるし、マルクスフーコーも上手に編み上げられてるみたいに見えるから、きっと良いことを言ってるんやろう」という程度。序章の理論展開はあまり気にせず、本文だけよく理解するように注意していた。で今回、序章を英語で読み直してみた。すると、分かる分かる。スラスラ分かる。そして内容的には、そんな大したことを言っていないということが、よく分かる。言葉遊びみたいな感じで頭のいい人やとは思うけど、思想的に何か意義深い内容があるかというと、そこまででもないと思う(もちろん、いい本やとは思うけど)。理論と理論のちょっと新しい組み合わせであり、それをうまくやってのけてるとは思うけど、極端に言えばそれ以上のことはない、というのが分かる。1年前とは、まったく理解度が違う。そして読むのにかかった時間を見ていても、1時間に10ページくらい読めてる。(行間が少し大きめやから、たぶん)以前の2倍くらい速くなってる。

もう一つの本は、サッセンのTerritory, Authority, Rights: From Medieval to Global Assemblages(邦訳:『領土・権威・諸権利』)。これは当時、抽象的なことを延々と語り続けていて、どうも腑に落ちひんなぁ、そして同じことばっかり繰り返してるように思えるなぁという印象やった。今回、一番核になってる章の冒頭部分だけ読み返してみた。そうすると、分かる分かる。そして分かってみると、別にそんな極度に抽象的なことも言ってないし、しかも結構章ごとに(少なくともその章は)議論の対象を細切れに切り分けて書いているようやった。だから、抽象的で腑に落ちない内容を何度も繰り返している、という読みは、たぶん相当ズレてたと思われる。(全部を読み返してみれば確認できるけど、なんせ膨大なのでやめとく。)

こういう本を読み返して、以前の体感と比べてみることによって気づくのは、「速い」「分かる」ということだけではない。「よく分からんかったから前の行に戻って読み直す、それによって行ったり来たりする」みたいな作業が、以前と比べて圧倒的に少なくなっている。なので、時間的に速くなってるのは当然とも言える。

 

これを踏まえて、もう少し、両目読書の立場から片目読書の体感を説明してみる。

片目読書をすると、目の視野の中に1回で入ってくる言語情報の領域(紙面?)が、広い。一度に英語1単語をまるまる理解できるし、それどころか、一瞬さっと目を動かすことによって何単語も一気に理解できる。両目読書の時は、英語の1単語を読むためにその単語の内側を分解して(de + national + ize + d)、そして再び組み立て直して、あぁこれは“denationalized”と書いてあって、国民国家の枠組みから分離してるという意味やな、と理解していた。これに対して、片目読書では、denationalizedを1回みることでそのまま丸っと理解できる。感覚的には、漢字を一目で理解するのと近い。

実は以前から、漢字の単語を目で見て視覚的に理解できてるなぁと感じながら、なぜ同じことを英単語についても出来ないのか、不思議で仕方なかった。英単語は表音文字であり漢字とは仕組みが違うというのは明らかであって、そのことを自分の読書体験の独自性を説明する理論としても用いていたけれども、でも一方で、英単語も単語レベルではいわば一つの絵のように認識することは可能なはずやと、ずっと思ってた。なぜそれが出来ないのか、分からなかった。それが急に出来たことになる。

そして、こういう風に単語を丸っと理解する認知方法は、すごく速度が速いみたい。なので目を左から右にさっと流すことによって、ほぼ一瞬で1行(もしくは半行くらい?)が理解できてしまう。もっと極端に言えば、自分の意識上ではしっかり見つめたつもりの無い文字すらも、目の端っこで捉えるだけで何故か理解できてしまっている、という感じがする。摩訶不思議な、手品のよう。

しかし「理解できる」という表現も、かなりの曲者やと思う。より正確に観察すると、そもそも両目読書のときの単語の「理解」と、片目読書の時の単語の「理解」は、質的に根本的に異質なものや。片目読書では、理解しようとする意識的な努力を全く必要としない。自然に、言葉とその意味が頭の中に勝手に入ってくるような感じがする。両目の時みたいな、いちいち意識して考えて意味を理解しようとするようなプロセスが、そこには存在していない。ほんまに不思議な感覚やけど、恐らく普通の人はこの「勝手に意味が流れ込んでくる」プロセスの方しか体験したことがなくて、「いちいち意識して意味を理解する」っていうのがどういうことなのか、逆にそれが全く理解できひんやろうと想像できる。(あるいは、不慣れな外国語を読む時の感覚を思い浮かべるやろうか。それは、結構近いかも知らん。*1

そしてもう一つ、両目読書の立場から片目読書を観察して言えるのは、読み進めながら記憶しておける前の単語や前の行の量が、片目読書の方が圧倒的に多い。言い換えると、両目読書では、目が次の単語や次の行へと移るたびに、直前に読んだ内容をことごとく綺麗さっぱり忘れていく。したがって何度も上下前後に行ったり来たりして、意味内容を記憶にとどめるたびに意識的な努力を繰り返しながら読み進めていく必要がある。片目読書では、こういう努力がかなり不要や。片目読書では、目を滑らせていけば意味内容が自然と頭に入ってくるし、それも前の単語や行の内容が頭に残っていて、文が全体として繋がった形で頭に入ってくる。

これは特に英語で顕著な効果がある。両目読書の時は、一文の中で読み進める際に、文頭に書いてあった内容を忘れてしまうから、文中で出てきた挿入節とかが文法的に何に対して掛かっているのかを、すぐに見失っていた。なのでいちいち、指で辿るようにして、文法的な修飾・被修飾関係を意識的に追跡しながら読まなあかんかった。片目読書では、こういう意識的な努力をする必要性が、格段に減る。書いてある順序のままに、書いてある流れのままで頭に入って来てくれる。

実は、片目眼鏡を掛けた最初の頃は、体のどこか一部を縄で縛られて自由に身動きができないような、その縄(この場合は眼鏡)を暴力的に取り払ってしまいたいような、そういうイライラする不快感があった。とはいってもそれは、片目眼鏡をつけて家の中を歩き回って見た時に感じる、認知の不足感(立体感の不足)とはまた次元が違うものやった。もっと、根本的に、普段行なっていることが制限されてしまっているような、そういう遣る瀬無さやった。いわば、足の代わりに両腕で体を引き摺り回して移動しないといけない時みたいに。

そしてその遣る瀬無い不快感は、片目読書を開始して数日経った今でも、ふと油断するとすぐに訪れる。しかし、ギアが乗り始めると、「スッと」意味が入ってくるようになる。そして、感じていた遣る瀬無い不快感は、思い出さない限りしばらく忘れていられる。

これはどうやら、速読が「できる」「できない」の問題というよりかは、もっと正確にいうと、速読を邪魔してしまうある種の特殊な認知特性が、油断するとすぐに表舞台に躍り出ようとする。だからそれを強引に(片目眼鏡で)シャットアウトする。そういう仕組みのように思う。

 

両目読書と片目読書のこういった相違は、自分の感覚をつぶさに観察してみる限りでは、やっぱり明らかに、視覚的イメージに変換しようとしてしまう(右目の能力が表舞台に踊り出る)か、言語を言語のままで受け入れる(右目を抑え込む)か、という区別なんやと思える。二つの認知方法は、まったく根本的に仕組みが違っていて、まるで二つのパラレルワールドが存在しているような気にさえなってくる。片目読書の認知方法を基準にして考えれば両目読書の認知方法がまるで珍奇で不器用で不要なものに思えるし、両目読書を基準にして考えれば片目読書はまるで天才の曲芸のように思える。

しかしそれと同時に、どちらの認知方法も、自分のこれまでの人生の中ですごく慣れ親しんできたもののように思えてならない。両目読書の苦労が、これまで散々いじめられてきたジャイアンの憎たらしい鼻づらのように親しみを感じるのは当然であるとしても、それと同じくらい、片目読書のこの飛び滑り流れるような情報の注入方法も、人生で初めて体感する類のものやとは全く感じず、むしろ、読書以外の場面で常に実践してきたものであるような気がしてならない。恐らくそれは、マシンガントークの友達の話を聞く時とか、お笑い番組のテンポの速いやりとりを聞く時とかに、ごく自然に実践してるものなんじゃないか。おそらく英語では、日本語ほどナチュラルにはこれを実践できてないと思われる。だから、クラスメートの発言が、発せられた言葉は頭の中に浮かぶのにその意味が頭に入って来ずに置き去りにされる、ということが起きてたんやろう。

したがって、大学院の教員に対してどう説明すればいいか分からず困った結果、「みんなが、全く別の意味世界に住んでいるように感じるんです」と言ったことがあったのは、やはり正しいことやった。もちろん、その教員はまったく理解を示さず、思い出すのも嫌なやり取りやったけれども。

 

さらに面白い観察がある。

眼鏡をつけたり外したりしながら、片目と両目でそれぞれ何が起きてるのかを観察していた時に、感じたことがある。両目にすると、当然のことながら、本とページが立体的に見える。でも、本の中に書かれている意味内容すらも、立体的に見える気がした。これは何とも不思議な感覚で、自分でもどう説明したらいいのかまだ分からへん。逆の言い方をすれば、片目にした時に、書かれている意味内容が平板に見えて驚いた。言語によって表現された意味内容が「立体的」とか「平板」(「平凡」じゃなくて)とか、そういうことってあり得るんやろうか。

最初一瞬だけ、単にしなってるページの紙が立体的に見えるのを「立体的や」と感じているんやと思ったけど、どうもそれだけじゃない。そこに書かれてる言語的な意味内容それ自体が、立体的に見えてる。そしてさらに面白いことに、ページの紙自体が立体的なことと、言語的に書かれている意味内容自体が立体的なこととは、どうやら、厳密な境界線がないように感じる。それは連続(spectral)してる。これはもしかしたら、一種の「共感覚」(リンクはWikipedia)なのかもしれん。

そしてこのことに気づいた瞬間、一番初めに思ったのは、片目で見る読書における意味内容の体験というのが、なんという味気のない、平板で薄っぺらくつまらないものなんや、という驚きやった。確かに速くは読めるけれども、でもそこに広がっている意味内容の世界というのが、いわば地平線までずっと何も遮るものがない一面の砂漠のような、そういう味気のない世界みたいに感じる。この例えを続けるなら、両目読書で見る意味内容の世界というのは、切り立つような山や、深々と堕ちる谷底や、森や川があって、なかなか前に進めない世界のよう。読むのに時間はかかるけど、砂漠で生まれ育った人には想像もできないような、全くの異世界とその体験が広がってる。正直にいうと、その相違に気づいたときは驚いたと同時に、もしも普通の人はこの片目読書の平板な意味世界しか体験したことがないのならば、それはすごく可哀想なことや、と思ってしまった。

 

さてそういう訳で、新しい読書体験を発見した今、正直言ってすごく興奮してる。たくさん読めるし、これまで分からなかった本も読める。でもだからといって、読む速度が急に1時間あたり100ページや200ページになった訳ではなく、あくまで1時間あたりに20ページなだけ。残念ながら、まだまだ普通の同世代の人の何倍かは遅いやろう。

ここからは推測やけど、自分は、真剣に読書を始めた中学生くらいのころから一貫して、視覚的イメージへの変換によって意味内容を捉えようとしてきた。その結果、読書スピード向上のその傾き(加速度、というか)が、他の人と比べて圧倒的に小さかった。もしも、中学生の時点でこの片目読書を発見していたら、他の人と同じ傾き(加速度)で読書スピードを向上した結果、 今では1時間に50ページとか100ページとか読めるようになっていたのかもしらん。もう28歳なので、15年くらい損した計算になる。

でもその反面で、山や谷を乗り越えながら立体的な意味世界を体験するという、ちょっと変わった困難な取り組みを、独りで黙々と続けていた。それはある意味では損なことやったかも知らんけど、でも別の意味では、得なことやったとも言える。正直にいうと、僕は周囲の人と会話や議論をする中で、論理や意味や意図や背景や文脈や意義といったものが、他の人と比較にならないくらい圧倒的に速いスピードで読み取れる、と感じることがしばしばある。それはまるで、周囲の人が地道に議論を積み重ねてテクテクと歩いて目的地にたどり着こうとしている時に、自分だけジェット機か、下手をするとどこでもドアすら使って、ひとっ飛びに目的地にたどり着いてしまうような感覚と言える。(ただしもちろん、常にそうだという訳なくて、逆に周りに付いていけない時もある。)

考えるにこの強みは、明らかに読書の苦労と関連していると思う。高い蓋然性で、読書の苦労自体が自分の脳を鍛錬して、他の人は持っていないような強い(特殊な種類の)思考力を身につけたんやろうと思う。もしも中学生の時点で片目読書を発見していたとしたら、この特殊能力は身につかへんかったやろう。結局、あっちを取ればこっちが取れず、こっちを取ればあっちを取れず、というトレードオフに過ぎひんのやろうと思う。

だから、自分のデコボコした能力は、必ずしも絶対的に負のモノということにはならへん。ただ、デコボコしていると、人と違ってるという事実それ自体に起因して、膨らんでいる能力だけを見て天才やと勘違いされたり、欠落してる能力だけ見て能無しやと勘違いされたり、あるいは一貫性がなくて理解不能な人やと思われたり、はたまた一貫性のなさゆえに嘘をついていると誤解されたりする。また、例えば読書の苦労みたいな、他人に説明しても理解されない苦労は、永遠に理解されることがない。こういう、悲しいことも多い。

 

片目読書を発見して興奮すると同時に、実は同じくらい心配してるのは、今後もし片目読書に頼りすぎると、自分の強みもだんだん消えて行ってしまうんちゃうか、ということ。だから、何冊かに一冊は、眼鏡を外して読もうかなと、考えているところです。

 

 

* * *

ところで余談やけど、眼球から伸びてる視神経が右脳左脳とどういう対応関係にあるのかをグーグル検索してみると、どうやら左右両方の目が、それぞれで左右両方の脳につながっているらしい。これをそのまま今回の話に適用すると、右目で見るとイメージ認知に繋がってしまって、左目で見ると言語認知につながってくれる、という話はおかしいように思える。

でも、そもそもイメージ認知の力も言語認知の力も、運動会の赤組と白組みたいに左右で綺麗に別れているものでもないはずやし、脳というのはもっと複雑やろう。皮質部分(外側)と連合野みたいな内側の違いもあるし、前頭葉後頭葉頭頂葉という部分の違いもある。最初のひらめき自体は、赤組白組の運動会チーム分け方式のような短絡的な発想やって、それが結果的には有意義な発見につながったわけやけれども、でも実際の仕組みといういのはもっと極めて複雑なはずや。ほんまにたまたま、奇跡のような偶然によって、僕の脳味噌の中では、左目で文字を見ると言語的な処理をするのに都合がよかった、というごくごく個別的な事情にすぎひんやろう。

だから、だれでも右目を隠して読めば読書スピードが上がるやろうとは、全然思いません。誰でも試してみるのは自由ですが、それでうまく行かなかったからといって「そんなん嘘や」とは言わないで欲しいです。

脳の神秘もすごいけど、この発見ができたということも、神秘的やと思う。おもしろいなぁ。

*1:内海『自閉症スペクトラムの精神病理: 星をつぐ人たちのために』(P183-4)は、次のように書いている。「われわれの世界は、まず母語によってフォーマット化されている。経験は身体とともに、この母語によって構造化されたフィールドの上で展開されることになる。外国語を学ぶ時にも、その習得は、母語によるフォーマット上でなされる。それに対し、...ASD自閉症スペクトラム障害)では言語が身体に染み込んでいない。むしろ道具のように、無骨に使われている。ASDの世界は、母語によってフォーマット化されておらず、言語はアプリのようにインストールされる。彼らはあたかも外国語のように母語を学んでいくのである。」
したがって、日本語を読む時ですら「いちいち意識して意味を理解する」と僕が呼んだプロセスは、この内海の言い方を借りれば、外国語を運用するのと同じように母語を運用していることの結果なのかもしれない。
これと同じ意味で、世界が母語でフォーマット化されている普通の人が「母語なのに「意識して」理解しようとするというのはどういうことやねん、それってつまり、不慣れな外国語を読み解こうとする時みたいな感覚なんか??」と考えるとしたら、それはかなり正鵠を射ているかもしれない。

自分の仮説を(途中まで)立証している論文を発見。視覚的な文章も、視覚的でない文章も、等しく視覚的にゆっくりとしか読めない脳について。

最近Googleから検索でここにたどり着く方が増えているようなので、これまでの経緯をおさらいします。アメリカで大学院に入ったんですが、英語の読書スピードが遅すぎて到底やっていけず、誰にも理解されずに支援を受けられないままドロップアウトしました。学力も英語能力も、十分に高い。しかし(英語の)読書スピードは100人中で下から1位。これが、一体何なのか??というのをずっと調べています。どうやら自分は自閉症スペクトラムASD)を持っているらしい、というところまで分かっていて、自分の感覚的には読書スピードもASDと関わっているように思えてなりません。そういうときに、以下の論文を見つけました。

RK Kana, TA Keller, VL Cherkassky, NJ Minshew & MA Just

Sentence comprehension in autism: thinking in pictures with decresed functional connectivity

Brain. 2006 September 129(0 9): 2484-2493.

 「自閉症の人が文章を読むときの脳の使い方が、自閉症じゃない人と比べて根本的に異なってる。普通の人なら言語能力と関わる脳機能を使うような場面で、自閉症者は視空間認識と関わる脳機能を使って文章を読んでる」と、実験で示している論文です。

テンプル・グランディン『自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか』(リンクはアマゾンアソシエイト)に引用されていたことから発見しました(6章、P174)。

これはまさに、読むのが遅い謎の現象にぶち当たった結果として、文章を読むときに頭の中の動きがどうなっているのかを自分自身でよく観察して打ち立てた仮説そのものです。それがそのまま、脳科学の論文で実験結果とともに示されている。

ここで行われた実験とは、簡単に要約すると以下のようなもの。

自閉症者のグループと、対照実験のための定型発達者のグループを用意する。

意味内容的に視覚性の高い文章問題(視覚問題)と、意味内容的に視覚性の低い文章問題(言語問題)を用意する。

視覚問題とは例えば、"The number eight when rotated 90 degrees looks like a pair of eyeglasses. True or False?"(ローマ数字の八は、90度回転させると眼鏡のように見える。正か誤か。)のようなもの。

言語問題とは例えば、"Animals and minerals are both alive, but plants are not. True or False?"(動物と鉱物はどちらも生きているが、植物は生きていない。正か誤か。)のようなもの。

両グループが二種類の問題を解く際に、脳内のどの部位が活性化されるかを、MRIによって調べる。

定型発達グループは、視覚問題に対しては視空間認知に関わる脳の部位が活性化し、言語問題に対しては言語に関わる脳の部位が活性化した。言語問題に対しては、視空間認知に関わる脳の部位が活性化することはなかった。

自閉症グループは、両方の問題に対して視空間認知に関わる脳の部位が活性化し、異なる種類の問題に対して脳の使い方の変化が見られなかった。

細かいことは他にも色々あるが、一番重要な議論は以上のとおり。確かに僕自身も、上記の例題を最初に見たとき、動物の絵と結晶体の絵を思い浮かべて、それを見て「いや生きてない」と判断した。全く実験結果の通りやと思う。

何故このようなことが起きるかという原因論については、いろんなレベルでいろんな推測が行き交っていて結論が定まらない。けれども、有力そうな考え方は、脳の部分部分を結ぶ神経回路のうち、あるものが何らかの理由でうまく発達しなかったために、他の部分と繋げる神経回路を発達させることによって能力を補った、という説。これはMRIによる画像データからも根拠が出されている。

文章を読む際に、何ら視覚的な意味内容のない文章であっても必ず脳内の視覚能力を経由しないと意味が理解できない、というのは、自分で自分の脳の動きをよく観察してたどり着いた発見そのものや。しかもその時の感覚は、言語を言語のまま理解しようと努めても頭の中がモヤモヤして脳が機能しない感じがし、永遠に理解ができない、というもの。この感覚は、「本来あるべき神経回路が不在である」という脳科学的な説明にぴったりと合致する。

 

この論文では残念ながら、短い一文を対象にした実験にとどまっている。その上で、解答にかかった時間は自閉症グループも定型発達グループも差異がなかったと(極めて簡潔に)述べるにとどまってる。

でも、この実験みたいに「一文について立ち止まって考えて、正か誤かを解答する」のではなく、もし「連なった長い文章を、内容についての判断なしにどんどん流し込んでいく」という作業を行なったとすれば、両グループにおいて作業に要する時間が大きく変わるとしても全くおかしくない。本を読むときに僕の頭の中で起きてしまうのはまさにそれであって、書かれている全ての言葉・文章をいちいち視覚的なイメージに変換して読まないとあかんから、言語を言語のまま理解するのと比べて時間がかかってしまう。目自体では素早く文章を追えるけど、意味内容を少しでも理解しようとすると、イメージを連想・想起するスピードが読むスピードを制約してしまう。

友達に「どれくらいの速さで読めるのか」と聞いて回った印象では、普通の人はどうやら読む速度をコントロールできたり、文章によって大きく速度が変わったりするらしい。僕は、これが起きない(起こせない)。どんなものでも、ほぼ一定の遅い速度でしか読めない。ただしその中でも難易度によって多少の速度変化はあるけれども、でも他の人と比べてその変化は圧倒的に小さいみたい。この論文の実験結果は、このことも上手に説明してくれるんちゃうやろうか。普通の人は、言語的な認識能力と視覚的な認識能力の両方を使って文章を読む。素早く(浅く)読もうと思えば、言語的な能力だけを使うことができる。文章が難しかったり、精読したいときは、視覚的な能力も使って読むから、そのときは視覚的能力の処理スピードに引きずられて遅くなったりする。言語能力と視覚能力をどれくらいの按配で組み合わせるかによって、極端に早い時から極端に遅い時まで、連続的なスピードの変化が生まれる。これに対して僕は、(ほぼ)視覚的能力しか使えないから、(ほぼ)一定の遅い速度でしか読めない。

このレベルまで問題設定をして実験をしたような論文は、どうやら存在しない。専門家に会うときに、この話をしてみようと思う。研究データが存在しない仮説的な話やから、専門家にとっても確定的なことは言えへんやろう。でも、「自分は自閉症スペクトラムがある」かつ「自閉症スペクトラムが原因となって読書スピードが極端に遅い」という二つの議論両方について、専門家から何らかの支持をもらえれば、大学に入り直すとかの選択肢を選ぶときに強い味方になる。

 

 

ちなみに、これまでで読んだ自閉症関連の文献の概要は以下の通りです。同様に勉強する方は、参考にしてください。

 

★★神尾陽子『成人期の自閉症スペクトラム診療実践マニュアル』(リンクはアマゾンアソシエイト)医学書院、2012。

自閉症を専門にする精神科医が、一般の精神科医向けに書いた臨床マニュアル。今の時点でもっともオーソドックスに、包括的に、基本的な事項を知れる本。

 

★★青木省三『大人の発達障害を診るということ: 診断や対応に迷う症例から考える(リンクはアマゾンアソシエイト)医学書院、2015。

自閉症を専門にする精神科医が、一般の精神科医向けに書いた臨床ガイド。神尾に載っていないような、より現場に即した症例を多数紹介する。典型的な自閉症者は臨床現場においてマイノリティであり、グレーゾーンに属する患者こそマジョリティなので診断と治療に知識が必要だ、という基本的な理念のもと、そういった扱いの難しい症例をどのように診断し扱ったか、そこから得た教訓は何か、を詳述。

 

★★☆石坂好樹『自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐(リンクはアマゾンアソシエイト)星和書店、2014。

自閉症を専門にする精神科医が、一般の精神科医向けに書いた研究書。現在主流となっている学説を批判的な立場から俯瞰し、自閉症研究において何が未解決のまま残っているのかを真摯に提示する。また、自閉症者は何が「できない」のかではなく、何が「できるのか、得意なのか」に着目して、そこから自閉症の原因・機制を解き明かそうとする。そのため、特殊な能力である「サヴァン」に着目する。

 

★★☆内海健自閉症スペクトラムの精神病理: 星をつぐ人たちのために(リンクはアマゾンアソシエイト)医学書院、2015。

精神科医が、一般の精神科医向けに書いた研究書。現在主流となっている学説を批判的に検討し、著者の臨床経験から得た独自の視点・知見を提示する。医師が自閉症者を「現象」として外側から見るのではなく、自閉症者自身が世界をどのように経験しているのかを知ることが重要と考え、その課題に対して著者なりに取り組んだ。

 

★★テンプル・グランディン『自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか(リンクはアマゾンアソシエイト)NHK出版、2014。

自閉症者自身による自伝の先駆けとなったグランディン(動物学者)による、最新の自閉症研究の成果を踏まえた一般人向け解説書。アメリカの実証主義的な脳神経科学を下敷きにしているため日本人の著書とはやや趣が異なる。議論が当事者としての感覚的な理解にバックアップされていることはもとより、数十年にわたって経験と理解を執筆してきた中で積み重ねた推敲が反映されているため、説得力がある。

 

★★☆ドナ・ウィリアムズ『自閉症という体験(リンクはアマゾンアソシエイト)誠信書房、2009。

グランディン同様に自閉症者自身の伝記で有名なウィリアムズが、必ずしも医学や神経科学には依拠せずに独自の理論を展開した、いわば思想書。定型発達者は成長の過程で、動物としての人間が持っている本能的な能力を失ったが、自閉症者はこれを保持している人たちである、とする。

 

別府真琴『なぜ自閉症になるのか 乳幼児期における言語獲得障害(リンクはアマゾンアソシエイト)花伝社、2015。

内科医が、精神医学的自閉症研究における通説に対して批判と異論を提出した研究書。当事者として読む限り、着想として正しいと思える箇所はあるものの、それはほんの一部だけにとどまり、全体としては議論が大雑把で独りよがりか。

 

★★☆松本孝幸「<内側から見た自閉症>」(もと総合支援学校教員によるウェブサイト)

日本と外国での自閉症者自身による自伝書から興味深い一節を抜粋し、松本氏自身の教育現場での経験と照らし合わせて紹介・議論するウェブサイト。1000近い抜粋がある。

 

★★宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本(リンクはアマゾンアソシエイト)河出書房新社、2016。 

高機能自閉症者は仕事や業績で成功することが多く、世間的な評価が高い場合が多い。しかしその独特な考え方(強いこだわりや、他人の気持ちを読み取れないこと等)により、家庭において妻との関係が問題化しやすい。 「成功者」でもあり「いい人」でもある高機能自閉症の夫を持つ妻は、自分が間違っているのかと悩み憔悴する。この妻の状態を一つの精神病理と見立て、その解決策を模索する。精神科医が一般向けに書いた本。

 

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