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なんだかんだで、まだいます

アメリカで人類学を勉強するプログラムから早々に離脱した後日談

大統領選挙とアメリカと人種と苦しみ

アメリカ 大学院課程

ものすごい更新頻度やけど、まだまだ書きたい。

選挙の日、24時前まで図書館で勉強していた。かなり早い時間から、周りには人がいなくなっていった。普段ならまだ何人も座ってるのが見える時間帯。開票結果を中継テレビで見るパーティがキャンパスのそこら中で展開していて、誰にとっても勉強なんかしてる場合じゃなかったんやろう。僕も勉強しながら、フェイスブックでかなり頻繁にライブ映像を確認する。22時か23時頃から、雲行きが怪しくなって来た。24時前、図書館を出る。ほんの1人か2人としかすれ違わへん。ずらっと並んだ自習室の机には、見える限り一人も座ってない。初めて見る光景。図書館を出て、自転車の鍵を外すあたりまで、まっすぐ家に帰るつもりでいた。疲れてるし、そもそもまだ勉強が終わってへん。鍵を外しながら、やっぱり人類学科の観戦会に顔を出して見るべきな気がしてくる。大統領選はアメリカ滞在中に多くても2回しか経験できひんやろうし、そもそもいまの雲行きが現実のものになるなら、一生に一回の事件がいま起きてることになる。

学科に着いてみると、MacノートでSNSを見ながら困惑して罵声を発する学生と、静かに憤る学生と、黙ってスクリーンを見つめる学生が、合計10人くらい。空のピザの箱と、半分くらい空いたワインやウィスキーのボトルと、明日の授業の課題図書。学生が飼ってる犬が走り回る。1時過ぎまでいたけど、僕はほとんど何も言わない。周りの人が怒り、議論し、ささやき合うのを聞いてる。僕が到着してからは、集計に時間がかかってる5州の結果が出そろわず、進展がない。ひっそり佇んだ後、ひっそり去って帰宅した。家で勉強を再開して暫くしたら、結果が出た。フェイスブックを開いたら、ちょうどトランプがスピーチを始める瞬間やって、ライブでスピーチを見る。日本の人と少しLINEでやり取りする。勉強は全然思い通りに間に合わず、諦めて寝た。4時くらい。眠い。

翌日は少し寝坊してから、家を出る。珍しく雨が降ってる。学科の建物に向かって、発表の打ち合わせのために同級生と会う。ヒスパニック系の、心が熱くて優しい人。建物の入り口近くにあるソファで打ち合わせてると、自然といろんな人が前を通る。マイノリティ(クルド)出身のトルコ人。昨晩から一番声高にトランプを弾劾し、選挙結果に悲鳴の声をあげてる。発表パートナーのところに来て、溢れ出るように、選挙結果を悲しみあう弔いの会話をする。ハグをする。涙ぐむ。僕は横で静かにそれを見ている。無限に溢れ出てくる感情を押しとどめるべく、発表パートナーが会話をコントロールして、発表の打ち合わせに戻る。アングロサクソン系の教員が前を通る。まるで学科の人が事故で亡くなったかのような、重い深刻な面持ちで、近づいてくる。昨晩講堂で集まって見ていたこと、心の底から驚いたことなどを発表パートナーとの間で互いに話す。お通夜の声のトーンそのもの。打ち合わせをしていると知って、去っていく。

授業に行く。人が揃い次第、先生がまず口を開いたが、当然選挙のことをまず触れる。触れたかと思ったら、何人かの特に強い思いを持ってる学生が、そこに何重にも乗っかってくる。自然と会話はコントールを失う。なぜこの結果になったか、今後どういう風になって行くかについて、冷静な発言、熱を帯びた発言が重なり合う。10人ほどのクラスのうち、5人程度が喋り、後の5人程度は喋らない。これは普段の授業のディスカッションのときと同じ。選挙についての議論がそのまま1時間続く。僕は何もいわない。議論が続く中で、先生の様子を観察するが、議論を収束に向かわせるタイミングがあるときにも先生は黙って聞いてる。自分から発言して議論を発展させることすらある。今回の発表は学期の中でもとりわけややこしいやつで、仕方なくこの日までに50時間か60時間くらいかけて本を読んで準備して来た。他の授業も仕方なく犠牲にした。3時間弱の授業の時間が延々と削られて行くことに、当然のことと思いつつも、複雑な気持ちがする。

目の前のみんなほどにはアメリカ政治・文化・社会に詳しくないし、深い思い入れもない。国際情勢の一つの(とはいえ重要な)出来事としてしか見れない。と同時に、この国に来て、大学の勉強という制度の面、学問分野を修めて行くという努力の面、ユニークなコミュニケーションの中で生きて行くという文化の面、全ての面において難しさを感じ、悩んで、工夫して失敗して成功しているそのプロセスの真っ只中にいる。その一つの象徴的な出来事として、この大変な発表の準備がある。頭ではその深刻さをよく分かってるつもりのこの歴史的事件と、精神の崩壊のリスクすら現実的なものとしてあり得たこの個人的で生々しい苦労とが、今この瞬間の中に互いを受け入れられなくてせめぎあってる。発表は、準備のおかげでうまく行き、「こんな大変な日に、一体どうやってこんないい発表をできたのか?」と拍手を浴びる。この複雑な心境は誰にも説明できない。自分が抱えてるこの生々しい苦労は、誰にも説明できない。まして、この歴史的瞬間の重要性を軽視するように見られてしまっては、危険すぎる。誰にも迂闊に説明できない。

その日から、人類学科の学生の間でメールがやりとりされ始める。「アメリカ」を失ったことへの悲しみと不信。想いを共有して、ともに時間を過ごし、互いを癒しあうこと。連帯すること。乗り越えること。こんな語彙が無数に飛び交うなんて、想像すらできひんかった。完全なる悪を目の前にした善良なる市民たちの声。でもその悪は、この国のマジョリティが昨日という日、家を出て、投票所まで行って、自分の名前を申告して、人差し指でその意志を選択し表明した結果や。その悪は、自分たち自身の中にある。自分たちの中にある悪と、それを憎み、乗り越えようとする、か弱く善良な連帯する市民たち。この断絶は、一体なんなんや。

もちろん周知のとおり、仕事を奪われたと感じている中流以下の白人労働者が、経済的動機を投票に反映させて、あるいは経済的動機から人種差別的発想を経て投票に至って、トランプ支持に回ってることは事実やろう。この大学みたいなコミュニティは、そういう人たちとは基本的に接触しない世界。トランプ支持が国全体ではマジョリティであろうと、たとえ仮に8割であろうと9割であろうと、このコミュニティみたいな場所においては、トランプを純粋なる悪やと(疑問の余地なく)感じ考える雰囲気は常に可能やろう。実際に今の状態がそうなってる。このコミュニティがトランプを弾劾するとき、自分たちの視界の外には彼を支持した生身の人間がいっぱいいて、その一人一人がそれぞれで生々しい理由と動機をもって投票したんやってことについては、このコミュニティはどういう風に理解してるんやろうか。まずそこに信じがたいほどの断絶がある。

でも中流以下の経済=人種的動機からトランプ支持にまわった人たちの票だけでは、従来のメディア予想通りクリントンの当選になったはず。2日経った今メディアで流れてる解釈によると、要するに選挙の決定打になったのは、中流以上の豊かな白人がトランプに投票したことらしい。白人が非白人を排斥する人種差別が、得票数になって表出した。これはCivil War(人種を巡って国が分断した歴史)の再来なんや。「アメリカを失った」と弔い悲しむこの人たちは、きっと、このことを直感的に理解したに違いない。しかもその排斥のエートスは、投票の瞬間まで沈黙の中に眠ってた。横に座ってる白人の友達は、こっそりトランプに投票したかもしらん。人種差別は、自分と肩を並べて存在してる。もしかしたら自分の中にも存在してる。きっと存在してるに違いない。何も信じられへんくなる。

「人種問題」は、日本で学校で勉強してぼんやり理解していたつもりやったけど、それとは決定的に異なる深みと困難さを伴う問題なんやってことを、こっちに来てだんだんわかるようになって来た。日本人は、アメリカに来たら誰でも同じプロセスを経験するんちゃうやろうか。アメリカは本当の意味で平等の国なんではない。極端に言ってしまえば、アメリカは人種差別の国や。人種差別があるから常に平等を志向するし、常に平等の国として表象する。実際生活してても、自分に向けられた視線が「これは人種差別なんか?」と感じることはある。人種差別がほんまに無くなったアメリカは、もはや平等を志向することも標榜することもないやろう。それと同時に、差別的な人種概念は、常に無限に作られ続けている。この国の人は、必要のないところでなぜか人種に結びつけて思考するし、人種概念には科学的根拠がないと知りながらそれを使用し続ける。人種概念を維持し続けることによって、アメリカは、平等の国であり続けようとしている。

平等の国でありたいという善良な市民たちの希望は、その中に含んでる矛盾した人種差別のことをよく分かってる。その矛盾は敵であると同時に、必要な内在的構造でもある。その矛盾は皮肉にも、自分たちを一つのものとして硬く結びつけてくれる、信念でもある。だからこそ、いま得票数という目に見える形でその差別的構造を暴露された時、この平等への希求を力づくで放棄させられたかのような、無力感、脱力感、絶望感を感じたんやろう。こんなとき、人間は、身を寄せ合う仲間を探し、想いを垂れ流して共感しあい、支え合って連帯することによってしか、乗り越えていくことができひん。

アメリカの断絶は、単に自由経済の勝者と敗者の断絶というだけじゃないんやろう。その社会を成り立たせている基本原理のそのさらに内側に、根本的な断絶が眠ってる。今回の選挙は不幸にも、その深い深い断絶が奇跡的な形で政治的事実として表面に浮かび上がって来てしまった。この国の人らは、それを乗り越える術をまだあんまり知らんように見える。

僕もつらい。辛さを乗り越えようとしてるアメリカ人たちを目の前にして、僕の理性、感情、知識、歴史、繋がり、弱さ、希望、そういったものどれ一つとして、アメリカを作り上げてる事実や原理と絡まりあってるものがない。目の前のアメリカ人に共感したくても、共感のしようがない。目の前に苦しんでる人たちがいて、その人たちに共感したくて、でも共感するすべがなくて、そのくせに、なんで共感できひんのか、何を共有できてないのかがありありとと見えてしまう。一方で目の前の人たちにとっては当然の絶望感やから、こっちがなんで共感できひんのかを説明しようとしても通じひん。通じひんだけならいいけど、トランプ支持やと誤解されたら大変やから、中途半端に伝えようと試みることもできひん。結局、コミュニケーションのしようがない。黙って、見守るしかない。これはいろんな意味で辛い。僕自身が、この中で生きていくことについての無力感を感じる。