なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

本当の不条理は、それを転覆することができない仕組みになっているからこそ、本当の不条理。それを前にすれば、もう唯々嘆くしかない。

こんだけ心的外傷を負ってしまった理由の一つは、例の障害支援室の対応が、およそ想像できる限りでほとんど最悪のパターンやったことが、大きい気がする。

障害支援室に助けを求めることは、いわば自分に「障害」のラベルをつけられることを受け入れることやから、それなりの覚悟と勇気がいる。でも、そのデメリットよりも、そのラベルに基づいて受けられる支援というメリットの方が上回るやろうと判断して、行ったわけや。で、最初の面談では、「話を聞く限り、何かありそう。検査を受けたら、ラベルがつくかどうかは分からんけど、何らかの傾向性として自分の特徴がわかると思うよ」と優しい声をかけてくれ、理解のあるような暖かい視線をくれた。まさにそういった、外から見た名付けのようなものがあれば、自分のこのモヤモヤしていてかつ明確にそこに存在している苦労がズバリ何者なのか分かることになり、気持ちの上でスッキリもするし、具体的な対策も考えやすいやろう。そういう期待をもって、検査を受けた。

ところが、実際に受けてみた検査は、数字をはじき出す部分がもちろん定型的なものであるのはいいとしても、質的なインタビューや観察の部分もほんまに表面的で、こっちの話をまともに取り合ってすらくれへん。商売として検査をやっているという様子そのものやった。そしてそんな検査に基づいて障害支援室の人が取った行動は、あろうことか、僕がズルをして低い数字をわざと出したと疑ってかかることやった。

「この読書スピードの検査項目は、簡易的なもので、うんちゃらかんちゃらやから必ずしも正確なスピードを測れないんです。そして君は、時間を延長したときでも依然として読解量が1パーセンタイルってなってるけど、問題を解かずにじっと座っていたんですか?他の検査項目には異常が見られなくてこの箇所だけ極端に低くなっているのは、私たちの知っているパターンに当てはまらないから、理解できない。」

この言い方は、見紛うことなく、「あなたがズルしようとすればズルできる検査だったんです。総合的に見ると、ズルしたとし考えられません。ズルしたんでしょう」と言っている。そしてこれを言いながら、目を細めてこちらを斜めから見るという、猜疑心を露骨に見せつける態度をとった。これは、支援者として本当に下劣の極致、まさに底の底にベタッと張り付いてる水準や。

そして、これに対してこちらが大声をあげて反論したら、解散してからメールで「もうちょっと考えて見るから、〜について詳しく教えて」と言ってくる。たった一回の面談で相手の反応にたじろぐくらいの信念しかないくせに、露骨に相手を疑って見せてしまてしまうなんて、一体どういうプロフェッショナリズムをしてるんや。

検査を実施した人らは、単に金儲けのためにやってるだけである一方、検査結果を良しなに「解釈」できないようでは信頼を失うから、「これはズルしているパターンですね」とか言って片付けたんやろう。障害支援室は、検査実施者のそんな下らん入れ知恵を安易に信用して、猜疑の気持ちに簡単に支配されてしまったんやろう。ほんまに文字通りのカスや。

その上、検査結果それ自体が出た瞬間に僕は、執拗に「この検査実施者の解釈は不十分やから、自分の意見も言わせてください」とメールし続けていた。それを無視した上での勝手な結論付けやから、腹わたが煮え繰り返る思いがする。面談後に向こうがたじろいで「〜について教えて」と言ってきて遣り取りをしたあと向こうの反応がすこしだけ変わったから、こういう情報もなしに勝手に結論付けを行われたことがほんまに遺憾や、と伝えたところ、「メールで色々聞いて初めてわかったことがたくさんあったので、仕方ないでしょう」と。いやいや、だから最初から、説明させてくれと200万回くらいメール送ってたやん。それを「忙しいから」とかなんとか言って先延ばしにしてたのはお前で、その先延ばしにしている最中に勝手に結論を出したのもお前やん。いい加減にしろ。

てっきりこの障害支援室の人は、医療資格までは持っていないにしても、なんらかの障害関係の資格を持っている人なんやと思ってた。そう思わせた理由は、まずそうでないと障害支援室の室長なんかにならへんやろうという思い込み、そして次に、堂々とした貫禄と自信に満ちた雰囲気。しかしいま改めてググって見たら、何の事は無い、障害と微塵の関係もない単なる営業として働いた後、この障害支援室のヒラ職員として10年働き、つい最近、僕が入学するほんの4ヶ月前に室長へ昇格しただけらしい。なんということや。一応「なんちゃらCollegeで高等教育障害のCertificateを取得」とさらっと書いてあるけど、Collegeで取得するCertificateなんてほんま知れてる。室長とかやるために、心理士とかの、ちゃんと協会によって認証されてる資格を持ってなくてどうすんねや。専門資格もないまま、ただ10年経験があるというだけで権限ある地位に昇格して自信をつけて、それで勝手に思い込みで人を判断してその人を貶める。そしてその人の人生を変えてしまうんや。はぁ。なんでもっと早くググらんかったんやろう。まぁ、ググっててもどうしようもなかったけど。

面談で疑われ障害認定が降りないと言われ、それへの返答で「これが障害認定もらえなかったら、どうやっても勉強を続けることは不可能やから、大学を辞めます」と大声で言った時に、この人が「まぁそうパニックにならなくていいよ」と、人を完全に舐め腐ったように鼻で笑った様子を、一生忘れへん。

この人に復讐をしたくて復讐をしたくて、心がどんよりとその執念に覆われてしまってる。言葉の暴力でこいつをズタズタに傷つけてやりたい。

 

学科の教員の方も、ほんまに文字通りカスの人間やった。自分が正しいことを微塵も疑わず、その価値判断から相手を見下し、相手の視点を理解しようとすることは決してない。こちらが苦しんでるのは正にお前自身の言動のせいやのに、なにか客観的な問題があってそれを解決しようとしているかのように、心ない言葉を吐き続ける。そして問題が解決できないままであるのを、こちらの至らなさ故やとみなして、こちらを見下すだけでは飽き足らず、無能力者であるこちらを憐れんで見せた。こいつに対しても、言葉の暴力でズタズタに復讐してやりたい気持ちでいっぱいや。

 

アメリカのエリート社会や勝ち組の人間の社会っていうのは、突き詰めればこういう不条理によって均衡を保ってるんやろうと、肌に感じて確信した。勝った者が、勝ったというその事実そのものを根拠にして自らルールを設定する。それからはみ出たり違う考えを持った人間に対しては、自分が勝者やという事実そのものを理由にして「失敗」「敗者」として見下し、そして憐れむ。敗者に仕立て上げられた人間は、敗者であるという事実それ自体を根拠として発言権を剥奪され闇に消えていき、したがって勝者が勝者であるという事実には何の変更も加えられないし、それどころか、ますます強固なものになる。

何よりも下劣なのが、勝ち残ってる本人たちが、自分たちは間違ったことをしていないと心の底からピュアに信じきっていることや。それを信じきっている限り、どんな摘発があろうとも天真爛漫に全力で自分たちを擁護できるし、それに感動して支持する人間も現れる。そうして結果的に出る判決というのは、そもそもが勝ち組の人間たちが設定した論理やルールに基づいているだけのものやから、そもそも自分たちに有利なわけやけど、そんな有利さなど存在を否定しているというのが勝ち組たる所以なわけやから、結果的に下された判決によって自分たちの正しさが証明されたといってますます声高に正当性を主張し、信じ、周囲の人へ強要する。

正当性を自分で作り出し、その正当性によって自分の正当性を証明する。全くの下劣な循環論法なわけやけど、これが、まさにアメリカで昔も、今も、そしてこれからも起きていることなんに違いない。トランプを見ればわかるでしょう。

戦後の日本は親アメリカでやってきたから、こんな過激なことを言っても流行らへんことは間違いない。でもぜったいその通りやと、心の底から確信してる。こんな国が世界の最大勢力になってしまっているこの地球という社会は、ほんまに不幸な場所やというか、そんな国やからこそ世界の最大勢力になれたんやというか、もう何と言ってもとにかく嘆かわしい。

たった数ヶ月アメリカに暮らしただけでこんだけ憎悪の感情を植え付けてくれる国なんやから、どんな形であれこの国の論理に接したことのあるビジネスマン、社会運動家、兵士、学生、等等いろんな集団の中から、その論理体系を象徴する「文明」みたいな抽象的な概念を相手取って具体的な報復行動に出てしまう人が生まれるのも、全くもって理解できる。自分は例の障害支援室長を刺殺しにはいかないし、テロを起こすことが正当化されるわけじゃないけども、実際にそういう事件を無数に生んでしまって余りあるほどの不条理が、どう目を瞑ってもそこに見えてしまっている。全くほんまに、嘆くしかない。

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