なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

異国の災いと運命

 

地震があったとき、レオナルドは人生で初めての体験に腰を抜かしそうになっただろう。

たぶん奥さんと手を取りあいながら、為す術もなく部屋の中央でしゃがみ込んだ。

今のが地震だよな、すごかったな… 

と、奥さんと互いに慰め合いながらテレビをつけ、インターネットで検索をしてみただろうか。落ちた物がないかを見回したり外に出て見たりとひとしきりのことをしているうちに、あっというまに時間が経ったに違いない。

 

あんまり動揺したので思いつかなかったが、これは大事件なので、誰かに話したい。ついでに、今の地震が普通のことなのかどうかもぜひ訊きたい。

それで地震のちょうど一時間後にメッセージを送った相手が、僕だった。

まだ余震があるかもしれないから、と基本的な考え方を教え、英語で書かれたウェブサイトや防災アプリのリンクを送った。

翌日も翌々日もレオから

「どうだ? 大丈夫だよな? 大きいのは来てないよな?」

「日中より夜の方が揺れが多いように思うが、なんでだ?」

と、頻繁にメッセージが来た。

 

それから数日後にカフェで会った際も、やはり地震の話題に触れた。レオの最大の懸念は、

「大きな地震がまた来るのか来ないのか? 来るならいつ来るのか?」ということだった。わからない。そう答えても、「一般的にはどうなんだ? すぐ来るのか、数日経ってから来るのか?」と食い下がった。

感情表現に関して、レオは慎重な男である。ときには「これについて俺は驚いているぜ」「感動しているぜ」「うんざりしているぜ」といった感情のパッケージをわかりやすく提示するが、それがレオ本人であるようにはあまり見えず、抑制されたパッケージの裏の本当の姿は滅多に垣間見れない。でもこのときは、理知的な質問の向こう側の生身の感情がよく見えた。

「もうフィールドワークへ行ってしまおうかな、タイに」

日本から逃げちゃうぞ、という意味らしい。

「冗談だよ」

 

 

レオはイタリア北部の実家を若い頃に飛び出して、アジアを放浪し、何の縁だかタイのシャーマンの家庭に住み込むことになってから、タイを離れられなくなった。タイ人の奥さんとも結婚した。今や彼は、タイ研究で食っている人類学者である。

タイ人の神秘的な世界観では「中心」が力強く、「周辺」は中心から「パワー」を貰う。首都のような「中心」はまた、神秘的なあの世とも繋がっている。パワーはいつも、この世のものならざる「何か」と表裏一体だ。レオはそういった「コスモロジー」論を専門にしている。

 

大阪北部地震から1週間後、タイでは、洞窟に閉じ込められた少年サッカーチームの話題がメディアを賑わせた。地元の人たちが遠足でよく行くという深い深い洞窟の奥に、25歳の若いコーチ率いるチームがたどり着いた時、天候が崩れ、大量の雨水が流れ込んで入り口を塞いだ。

洞窟は現世と神秘世界とを繋ぐ境界の空間であって、そこに入って行くことで人間はパワーと危険との両方を一身に受ける。レオがメディアに載せた論説によれば、タイ人にとっての洞窟の意味とはそういうことらしい。だからコーチに率いられてチームが洞窟に入ることは、単なる無神経な遊びというわけではない。

タイの全国民が注目し、それどころか世界中からプロが結集して救出作戦が続いた。国の中央から遥か離れた北部辺境にある奥深い洞窟で、危険と神秘とが混ざり合った力がうごめいている。

 

ところでレオと同じ大学には、フオンという友人がいる。彼女はベトナム出身の大学院生で、人類学研究室に所属して沖縄のシャーマニズムと占い師について研究している。沖縄本島での一年間のフィールドワークを終えて、最近京都に帰って来た。

去年フオンと会った際、彼女は僕に、シャーマンはベトナムでは普通の存在なのだと教えてくれた。彼女の地元にも信頼できる占い師がいるらしい。沖縄から戻って来たばかりの彼女は、今度は「スピリチュアリティー」という考え方を熱心に語った。30分以上話していたと思う。沖縄でフィールドワークをしながら、スピリチュアリティーの本を読んでいたのだという。

彼女に「地震は怖くなかったか?」と聞いてみた。

「全然怖くない。地震で死んでも、それが運命だということ」

さすがである。

 

 

僕はフオンとレオを引き合わせたいのだが、なかなかタイミングが合わない。フオンはフィールドワークの報告をするゼミがあるし、レオはいくつもの原稿の締め切りに追われていて、京都観光にすら興味を示さない。

 

ある朝、レオからメッセージが来た。

「携帯電話がなんども鳴って、日本語でメッセージが表示されるんだが、これはなんだ?」

地震か!? と思って机の下に入っていたんだが…」

前日あたりから急速に雨脚を強めた前線で、西日本は不穏な空気になっていた。レオの携帯に入ったのは、京都市内の避難勧告らしかった。確かにその日、市内ではあらゆる場所で携帯が鳴り響いていた。

夕方、レオが家の近くの川を見に行ったといって、写真を送って来た。

「全然問題なさそうだったよ」

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(C) 本人

普段の市内の川の様子を知っている人間としては、これはかなりのものであり、今にも溢れ出しそうに見える。少なくとも「全然問題ない」ことはない。

彼の住む地区を調べてみると、かなり以前から「避難指示」が発令されていた。避難指示が出ても避難しない人はたくさんいるし、彼は頑丈な三階建てのアパートの二階部分に住んでいるというので、とりあえずは大丈夫だろう。でも西日本の状況を見ると今回の雨は本当にすごい。なにが起きるかわからないから、避難という選択肢も真剣に考えて欲しい。

僕がなんども情報を提供しつつ危険について細かに説明する一方で、レオは締め切りに追われているらしかった。だんだんとイライラし始めているのが感じられ、最後には

「今日避難しろということか?」

「いま避難すべきという意味ではないけれど、周りの状況をよく見て注意して欲しいと思い、避難のことを言った」

「わかった」

そういう、すこし息の詰まるやり取りになった。

 

結局翌日から雨は収まり、写真の時点が最大の水位だったらしい。「雨が止んで、全く問題なくなったよ」という連絡は特にないまま、静かに数日が過ぎた。

梅雨が明けて、蝉が鳴き始めた。彼の周囲にも問題はなかったのだと解釈した。

 

その間、フオンはゼミでフィールドワークの報告を終えたが、見通しは必ずしも明るくないらしい。フィールドワークを追加でやらなければいけない可能性があって、これから一ヶ月間の頑張り次第なのだという。

 

「今週は大学の方に来ることはあるか? 今週末からタイにフィールドワークに行くから、それまでに会えるかどうかと思って」

雨のあと最初に来たレオからの連絡だった。

結局互いの都合が合わず、レオはそのままタイへ飛んだ。フオンを紹介するタイミングも、残念だがないままに終わった。

豪雨で洞窟に閉じ込められた少年たちが全員無事に救出されたというニュースが、ちょうど出たばかりだ。辺境にある神秘の洞窟でおきた奇跡の救出劇は、もちろん、タイ人のコスモロジーにとって隠れた意味を持っている。それについて調査しまた語る資格を、レオは十分に持っている。彼にとっては、救出劇が佳境を迎える傍で原稿を書いていたここ数日にも増して、忙しい滞在になるに違いない。

 

そんなこんなで、レオは奇しくも、天災に呪われた日本から脱出できることになった。

 

 

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