憎悪
例の教員への憎悪が渦巻いてる。
人種差別者であり、自分の視点のみから相手をジャッジしていながら同時に自分の判断には微塵の疑義も挟まず、そしてその視点から相手を一方的に見下し、攻撃すると同時に、憐れむ。見下しているからこそ、相手には発言権を与えずまたそのことを正当と見做して疑わない。全てが、自分の考えから始まり、自分の考えによって自分を正当化し、自分の考えへと結論し、自分を満足させて終わる。その過程のすべてのステップにおいて相手は、道具として使われる。そこには相手の枠組みも、論理も、人格も、そして尊厳も、存在するスペースを許されていない。単なる失敗作として、低評価と批判と憐れみの対象になる。
そんな例の教員への憎悪が渦巻いてる。自分の中に、溢れる寸前まで満ちている。ややもすると溢れてしまって、具体的な復讐の行動を取る衝動にかられ、実際の行動の計画を考えてしまい、その思考から逃れられない。
なんでここまで憎しんで、忘れられへんねやろう。なんで、今立ってるところから前のことを考える代わりに、後ろのことを振り返って延々と憎悪に取り憑かれてしまうんやろう。