なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

アメリカ人はなぜ虐待に向かったか。回復しつつある今、負の感情を言語に置き換える。それによって分かることと、それでも無くならないもの。

回復するために役立ったもの(時間、メガネ、筆、言葉)

最近、やっと少しずつ、心が回復してきたのを感じる。要因は四つあるように思う。

一つ目は、時間。心にナイフを突き刺されたように痛く、自分の心がドクドクと流血しているのを感じていても、時間が経つことによってだんだんと傷口は自然治癒してナイフはポロリとはずれ落ちていくようやった。傷口は、昔10針くらい縫った指の切り傷のように治癒後もデコボコと膨らんで傷跡を残し、かつてそこに起きた惨状を知らしめてる。指の傷跡を触れば今でもヒリヒリするのと全く同じように、時間によって自然治癒した心も、ふとした拍子に嫌なことを思い出してしまうと、苦い気持ちになる。

二つ目は、前回のポストで書いた、読む速さを上げる自分独特の工夫を発見して、それ以来寝ても覚めても読書を続けた結果、これまで読みたかったのに読めずに積み上がってた本が(依然遅々たるものの)ほんの少しだけ解消され、このまま長い時間続ければ以前よりは少しは読んでいける、という実感を得たこと。読みたいのに読めなくて積み上がっている本というのは、僕にとっては、自分の精神的活動と精神的生命力が、読む遅さのために制約され、手を縛られて狭い箱の中に押し込められているのと同じこと。読む速さが少し(最大2倍くらい)上がったことによって、知的精神的な意味での自分の生命力が、以前より2倍くらい広い活動の場を与えられた感じがする。ただし依然として全く不十分。これの5倍10倍は早く読めないと、自分の知的な生命力に見合った広さとは言えない。いずれにしても、心の傷からの回復のためには、意義があった。

三つ目は、ある創作活動を試行的に始めたこと。それが何なのかは恥ずかしくて書けないので、仮に「絵を描くこと」と呼ぶことにする。自分の持ってる精神的な生命力は、これまで学問的な知的活動という形式で発揮することを目指していた。学問的活動というのは、その最も本質的な部分は知的創造性と知的想像力に負っているわけやけれども、現実的なプロセスとしては、多くの本を読まないといけないっていう要件(やその他の色々な現実的要件)によっても規定されてる。絵を描くによって、自分の知的創造性と知的想像力を、この現実的要件から解放できるかもしらん。その精神的な生命力を、読書、論文、討議、出版、みたいな現実的な要件の制約から(完全にではないにせよ)少し解放して、直接作品として結実させることができるかも知らん。試行的に絵を描き始めてもすぐに結実するわけではなく習熟が必要やし、絵を描くことに伴う固有のハードルも多い。でも、自分の精神的生命力に活動の場を与える手段として、何か代替的な方法を見つけて試みてみるというのは、すごく前向きなこと。その前向きさが、心の回復にとって意味があった。

四つ目は、アメリカの大学院で経験した辛い出来事というのが何やったのか、を考えるとき、それは「虐待」やったんやと、的確に表現する言葉を見つけたこと。これまでは、教員や支援スタッフが「悪魔や」とか、「道徳が崩壊してる」とか、人種差別者やとか自己正当化的な攻撃やとか、色々な言い方を試みてみたけど、自分にとってはどれもしっくり来ていなかった。自分が経験した非道性をちゃんと表現したいけれども、ベストな言葉が見つからず、すこし外れてるけど遠くはないような表現をいっぱい並べて、なんとか伝えようとしてた。でもやっぱり完全には表現できていない、という感じがあった。ごく最近、それが「(精神的・心理的な)虐待」やったんやと思い当たった。それは簡潔で、簡潔なのと同じくらい、的確な表現やと思う。

虐待という言葉を見つけるのに4ヶ月もかかってしまったのは、虐待を受けていたという事実それ自体と関係しているように思う。その辛い経験のことについて考ようとしても、心が傷ついていることが原因となって、その記憶を何か非言語的な恐怖・衝動・憎悪の感情としてしか扱うことができひんかった。それを客観視する言葉が、どうしても出てこうへんかった。ごく最近になって、上記のような経緯で心の傷が少しずつ回復し始めると、それに伴ってこの言葉も自然に出てきたんやろうと思おう。そして正のスパイラル的に、その言葉が出てきたこと自体がまた、自分の気持ちを整理するのを助けたと思う。

 

アメリカ人を虐待に向かわせたもの

その虐待をした人間たちは、罪深いと思っている。自分たちの罪を認識せずむしろ「正しいことをした」くらいに思っているやろうことは、司法のような第三者的権力によって裁かれるに十分値する罪やと思う。しかし僕には訴えるべき司法機関もないから、ただ悔しさを押し殺して堪えて、忘れるように努めて生きるしかない。要するに泣き寝入りするしかない。それは、声を失うくらい不条理なことやし、記憶喪失になりたいと願ってもなれずに苦しむ。不条理やと叫びたい気持ちは微塵も減っていないが、ここではやめておく。

しかしそれと同時に、その罪人たちが何故あの人ではなく僕に虐待をしたのか、何故いつもそうであるわけではないのに僕に対しては虐待をしたのか、という観点からは、幾つか背景が挙げられると思う。

権威主義と人種差別

一つ目は、アメリカのエリート社会における権威主義

大学院でアメリカ人を見ていて一つはっきりと感じたことは、日本の大学と比べて、教員が学生に対して「お前らは今は無知で価値がない。指導に従ってただ学べ。」という雰囲気が支配していること。

日本の大学では一貫して、教員が学生の発想やアイディアを尊重しているのを感じていた。日本の先生らは、進んで学生の意見を聞き、学生がうまく話せないときは努めてそれを引き出そうとしていた。これには僕は、逆に違和感というか、気恥ずかしさというか、強い遠慮の気持ちというか、買いかぶられていて居心地が悪いというか、そういう感覚を常に抱いていた。

その感じを自分の大学社会の原体験として持っていたから、アメリカ人の雰囲気は極めて不快やった。こちらの言うこと為すこと全てを、いちいち「こいつらは無知」という前提で解釈するから、言いたかったのではないことを受け取られて「それは違う」と言われ、意図したのと違う行間を読まれて「そういう考え方はよくない」と言われる、そういう繰り返しやった。日本では全くの正反対で、よくわかっていないまま発言しているのに「なるほどおもしろい」と言われ、特に高潔な意図もなくしたことを「えらい」と言われる、そういう感じやった。アメリカ人は不快やった。

ただし、僕ではない学生、例えば白人のアメリカ人学生に対しても、この教員たちが全く同じ行動をとっているのかどうかは、残念やけど疑わしいと思う。授業中の様子を見ていても、まるっきり見当違いなことばっかり言っている白人のアメリカ人学生に対して同じ教員が妙に楽しそうに嬉しそうに、優しく擁護的に対応しているのは、目に余る様子やった。僕への対応とは、全く、留保の余地なく全面的に違っていた。

あるいはこれは「人種」差別というよりかは、もっと正確に言えば「特定の言語圏文化至上主義」なのかもしらん。アメリカ人にとって、自分たちの英語圏文化はピラミッドの頂点付近に位置している。英語を喋っている限り、発言が加点方式で評価され、英語がうまくなければ、減点方式で評価される。外国語の中でもフランス語を筆頭に西欧言語は尊重され、アジアの言語は卑下される。最初のオリエンテーションの時に学科長が(上記の、白人アメリカ人学生へ優遇的な態度だった人)、外国語の試験を各学生がパスしないといけないことを説明する際、何の躊躇もなく「科学的言語」ならどれでもいいと言った。そのあとすぐに、「科学的言語というのは、その言語でアカデミックジャーナルが十分に出版されているかどうかということです」と説明した。その説明の論理自体は筋が通っているけれど、その発言の裏には、特定の言語文化圏を価値の低いものと卑下し、特定の言語文化圏を価値の高いものとして称揚する発想が露骨に見えている。その峻別が、学生に対する時の減点方式と加点方式の差別化へ繋がっていく。

イギリスの大学の先生らは、そんなことはなかった。もっと多様性にオープンで、公平やった。それは、イギリスの中でも特に国際都市ロンドンやったこと、大学自体が極端に留学生が多い大学やったことなども、関係しているかも知らん。

自閉症スペクトラムを持って文化圏を渡ること

二つ目は、自閉症スペクトラム的(発達障害的)なミスコミュニケーション。

自然なコミュニケーションを苦手とする発達障害的な傾向によって、僕は思春期からこれまで一貫して、コミュニケーションを、意識レベルでの知的な活動として学んできた。それはいわば、飛行機の操縦を20年かけて自己訓練したようなもの。そうやって身につけたコミュニケーション能力は、非言語的・超文化的な共感とか、普通の人が思っているような無意識のコミュニケーション能力ではなくて、ごく技術的なルール・スキルに関する知識の集積でしかない。それは結果として、その訓練を行った場である日本の文化的な条件、文化に固有の環境に強く限定づけられている。つまり、自分が延々と繰り返して操縦を練習した飛行機、その特定の機体の固有の特性や機能に、特化されている。

異文化に行くと、この訓練の集大成としてのコミュニケーション能力が、突然役に立たなくなる。他人の飛行機(もしくは全く違うヘリコプター)の操縦席に座ると、操縦桿も違えば機体の特性も違う。この問題が、アメリカで顕著に表面化したように思う。

そのようにして僕は、アメリカにおいて、コミュニケーション能力が極端に劣った人間として集団の中に現れたんやろうと思う。互いの意思疎通がうまくできない。そうすると、差別的に減点方式を採用されるという前提の上では、全てがうまくいかなくなる。理不尽に誤解されることによって僕はムキになり声高に何かを主張・説明しようとし、それを聞いた相手の教員は違和感を感じてますます悪い印象を持ってしまう。悪循環やったと思う。

ちなみにベトナムに1年近くいた時も同じ問題が出てきてたけど、ベトナムでは単なる交換留学生で好き勝手な生活をしていればよかったから、具体的な問題へと繋がってしまうような圧力というものが弱かった(成果も適合性も求められない)。ベトナムでのホストファミリーとの関係では、アメリカで経験したのと全く同じような齟齬が頻繁に起きて、非常に辛い思いをしたけれども、何かの取り組みを中断したり辞めたりしなくてはいけないという立場ではなかったので、そのまま辛い思いをしながら逃げたり隠れたりしながら何とかやっていけた。結果的に、交換留学の学期が終わるや否や、逃げるようにして帰国した。当初は、そのあともビザを延長して数ヶ月滞在しようと思っていたけれども。当時このことは、自分にとって大きな挫折やった。そしてアメリカにおいて、もっと大きな形で同じ挫折を味わうことになった。

不寛容と異文化摩擦

三つ目は、不寛容と密接に関連した異文化摩擦。

アメリカ人にとっては、大学社会における世界の秩序というのは一直線の発展に沿った序列関係でしかなく、異なる考え方に基づいた固有の価値や、違うものを違うものとして育てる意義といったものは、全く認知されていない。そんなものは存在しない。ただそこにある、明確で絶対的な唯一のアメリカ的価値に基づいた発展の経路を、粛々と辿らないといけない。というか、そういう道しか存在していない。

外国人は、アメリカに足を踏み入れた瞬間から、「一人前のアメリカ的市民になろうと努めている者」とみなされる。「アメリカ的市民ではなくて日本人やけど、アメリカのこともちょっと知ってみたい者」とか、「アメリカは嫌いやけど、仕方ないからちょっと来た者」とかであることは、決して許容されない。アメリカの大地に立っている限り、「アメリカ市民」であるか、そうでなければ「アメリカ的市民になろうと努めている」のどちらかしか許されない。旅行者として街を歩いているだけでも恐らくそうやろうし、まして組織に属して居留し生活している限りは、日々のあらゆる場面において周囲の人たちがそのように想定する。

だから僕のように、もとからアメリカに良い印象を持っていなくて、学位とお金だけもらってサッと帰ろうとしている人間というのは、手痛い仕打ちに会うことになる。自分の出自に基づいた嗜好、やり方、考え方を表現するたびに、アメリカ人からはそれを異質なもの、異端なものとみられ、それだけならまだしも、高い確率で「間違ったもの」と見られる。そしてアメリカ人(エリート)の「リベラル」な正義感によって、攻撃される。

この問題は、異文化摩擦の問題であると同時に、アメリカの不寛容の問題でもある。

大学の地位、僕の地位

四つ目は、人類学におけるその大学の位置づけと、教授陣から見た僕の位置づけ。

僕が行ってすぐに辞めた大学は、東部にあるアイビーリーグの大学やった。その大学は政治学歴史学社会学、経済学、数学、物理学といったいくつかの主流の学問分野において、アメリカの中で傑出した存在であるどころか、世界的・歴史的に見て突き抜けて優れた業績と地位を確立している。その大学名も極めて高い威信を持っていて、アイビーリーグの大学の中でも特に際立ったオーラのようなものがあると思う。

ところが人類学においてこの大学は、政治学歴史学のように世界的な名声があるわけではないどころか、アメリカの外で知られている学者なんてほとんどいなし、過去にもほんの1〜2人しかいたこともないはず。アメリカ国内でもたぶん、たいして尊敬もされていない。でも大学自体が極端に潤沢なお金(寄付からくる財源)を持っているから、他の学科の水準に引き上げられて、この人類学科の教員の給料も恐らく相当高い。そしてもちろん、大学名それ自体の名声は高い。

このことから僕が、現場で感じた雰囲気も踏まえて想像していることが二つある。まず、ここの教員たちは幾らかの程度、刺激的で競争的な研究環境かどうかという基準よりも、高い給料と名前の良さを求めて、この大学で働いていると思う。言い換えると、業績や競争力がそこまで高くない研究者が、給料と名前に安住してこの大学に来たのではないか、ということ。想像している二つ目のことは、一つ目のことの結果として、ここの教員たちはかなり二流の人たちなんではないかということ、そしてそれにもかかわらず、高い給料と名前の威信を借りて傲慢に振舞っている人たち、傲慢に振る舞う傾向がある人たちなんではないか、ということ。

本来、本当の一流の人たちというのは、たとえアメリカであっても「アメリカ的な一直線の発展経路と序列しか認めない」というような非寛容的な狭隘な思想は持たないはずやと思う。自分自身が一流の人たちから落伍して、そこに引け目を感じ、もがいているからこそ、自分より下の人にもその単一的な価値観を押し付けるんやろうと思う。この大学の人類学の教員たちは、だからこそ高い給料を得て満足し、威信のある肩書きを得て自信をつけているんじゃないか。

そういう人たちにとっては、毎年入ってくる学生というのは、その学生が持ってる価値を高めて知的創造に貢献できるよう育てていく、といった、本当の一流の研究者・教育者がやる取り組みの対象ではない。その人たちにとって学生は、自分の価値を高めるために利用する資源でしかない。自分が教えることによって、自分のシンパが増えれば良いし、もしその学生が成功したら自分の業績になる。相手の価値を高めるなどという発想がそもそもないから、自分の持っている狭隘な単線的な価値基準だけで学生をジャッジするし、その価値基準において無価値に見える異分子は、ただ排除すれば良い。それを擁護し支援する合理的な理由など一つもない。もっとほんまに一流の研究者が集まってる大学なら、同じ結果にはならへんかったかも知らん。

人類学と地域研究、普遍性と固有性

五つ目は、自分の学問的指向性がアメリカの人類学とあまり合っていなかったということ。

人類学というのは一種の矛盾を孕んだ学問で、それは(研究者から見て)特異な社会の仕組みを明らかにするという目的と、特異な社会の仕組みを明らかにすることを通して人間の普遍性を突き止めるという目的を、同時に目指している。その二つは厳密には両立しないので、研究者個人や学派によって、どちらに重点を置くかが違ってくる。

アメリカの人類学は圧倒的に普遍性を求める学問やと(前以上にはっきりと)感じた。そしてその普遍性は、西洋中心主義的な意味での、アメリカを中心に置いた価値基準に照らして他の社会を検討するというもの。アメリカの人類学者は、究極的に他の社会それ自体への関心が非常に薄く、関心があるとしても自分たちの「(普遍)理論」を構築するための道具としてしか見ていない。このことの一つの傍証が、アメリカにおいてはアメリカ自体を研究する人類学者が異常に多いという事実がある。もちろん日本でもイギリスでも、自分たちの国自体を研究する(日本ではそれを民俗学と呼ぶのが長らくの慣習やった、最近変わって来てるが)人たちは常に一定数存在するが、アメリカはその割合が際立って高い。普遍性を目指すアメリカ人にしてみれば、結局目指すところが社会の固有性に制約されない理論なのであれば、なぜわざわざ難しい外国語を苦労して習得してまで地の果てまで飛んで行って頑張らないとあかんねん、自分たちの英語が世界共通語やのに、そしてしかも自分たちの社会こそピラミッドの上の方に立ってる複雑で高度に発達した価値の高い社会やのに、と考えるのは自然やろう。

一方で僕自身は、普遍的な定式化で捉えきれない地域性、文化の固有性といったもの、下手をすると言語で捉えることすらできない存在の固有性みたいなものを、かなり根源的なレベルで尊重してる。これは、学問分野でいうと地域研究というやつに近い。あるいは、「地域学」という造語で呼んだ先生もいた。この考え方は、一見すると人類学の目的と似ているようやけど、実はその人類学をやる人の重点の置き方次第では、水と油みたいに極度に緊張を孕むものになってしまう。

ベトナムを研究対象にしている僕の場合、ベトナムの固有性に着目している。一方で、ベトナムについて人類学的な研究をしている学者というのは、世界的に見ても極めて少ない。同じ東南アジアでもタイやインドネシアついては無数の人類学者がおり、東アジアで見ても中国、韓国、日本についても無数の人類学者がいるのに、ベトナムについてはなぜか奇妙にも人類学者が極めて少ない(ちなみに、政治学、地理学では他の地域と同等にたくさんいる)。この理由の一つは、研究対象としてのベトナムそれ自体が、実は普遍性指向の理論研究に抗うような、強い固有的性質を持っているからなんじゃないかと、なんとなく感じ始めている。それはベトナムにいた時の自分の観察でもそうやし、歴史について勉強していても感じることやし、そもそもベトナム人自身が自分たちを固有のものであると(特に、西洋に対立する形で)認識し主張する傾向が非常に際立ってる。

ベトナムがそういう社会であるからこそ自分は、固有性に関心がある者として、ベトナムに興味を惹かれたんじゃないか。と同時に、自分の指向性の面でも研究対象の面でも固有性・地域性に傾いている人間がアメリカに渡った時、普遍性を目指す理論体系の中で生きている教員たちから見ると変な、特異な、あるいは奇異で頑固で分からず屋な存在として映ってしまう。そして、互いに不信感と無理解が増幅され、排除すべきという無意識の攻撃性と見事に結合してしまったんじゃないか。

お金を握られること

六つ目は、お金の所在。

この大学に入るたぶん全ての大学院生は、五年間の生活費と学費を大学から支給してもらえることが保証されている。それは「無償」の奨学金みたいなもの。

ただし名前は「フェローシップ」と呼ばれ、奨学金とは決して呼ばれない。僕は、奨学金のようなつもりでいた。しかしその違いが、実は根本的に重要やったんじゃないかと思う。

それは大学院という研究機関のフェロー(連携者?)であるという身分と、その身分に基づいて特定の何かをすることに対してお金を支給する、いわば仕事に対する対価なんやろうと思う。仕事というのが博士課程の勉強やと考えれば、それは変な話やし、やっぱりそれは奨学金ということやろうと考えてしまう。でもそうじゃなくて、博士課程の五年間を通して教員の指導を受けながら「勉強・研究」することを通して、学生の中に特定の何かを形成し、発展させ、そして最終的には大学院に対してメリットとなるような何らかの成果を出すことを期待されている。五年間のフェローシップはその対価に過ぎひん。

フェローシップをもらう代わりに自分の中に作り上げる特定の何かと、最終的に生み出す何かというのは、つまるところ、このアメリカという社会にそぐわしい考え方を持った研究者としての資質、アメリカのエリート社会の一員として恥ずかしくない「常識」を身につけた人間としての価値観、そしてそれらを体現しつつ、アメリカの知的階級の中で評価されるような論文(それは同時に、その大学にとっての商品にもなる)を生み出すことなんやろうと思った。

その対価としてのお金をもらっている限り、学生は知らず知らずのうちにそのベルトコンベアの上に乗せられて、「勉強」をしながら立派にアメリカ的知識人になっていく。そして、仮にそのアメリカ的知識人の考え方、やり方、価値観を拒否し自分の出自に拘るような学生がいたとしたら、その人はフェローシップという対価を支払うに妥当しない人間ということになる。その中では、学生はただただ押し付けられる価値観を受け入れ、その枠組みに自分を押し込めていかないといかない。自分自身でありながらかつフェローシップを受け取るということは、論理的に背理している。

そういう風にして、日本人でありそのことを大事にしていて、自閉スペクトラム傾向があって変で、かつ学問的な指向性においてもアメリカの人類学とは少し違った考え方をもった学生である僕は、全く受け入れがたい存在であったんやろうと思う。

僕自身、上で書いたような教授陣の「お金と名声」欲と同じで、五年間もフェローシップを保証してくれるし、しかも(人類学ではパッとしないと知りながらも)大学の名前が有名やから就職にも有利やろうと、そういう理由で、この大学へ喜び勇んで入学した。ほんまの一流の大学にも出願してたけど、そっちは不合格やった。だから僕自身も、教授陣を非難する資格がないというか、非難してもただの負け犬の遠吠えになってしまう。ただ、読書スピードの問題をもし今後何らかの形で克服できるなら、もっとほんまに一流の大学に入れてもらって、しかも実力と業績でもって、自分のありのままの姿を相手に受け入れさせるだけの力を持った存在になっていける気がする。それは、この大学に入って来ている人たちの水準を見ても感じた。ただしその場合は、今回自分が気づいてここに書いたようなアメリカや学者世界一般の特質を踏まえながら、挑んで立つ相手は慎重に選ぶべきやろう。はなから自分でゲームのルールを設定し、不利とわかると勝手にルールを変えるというような、そういう人間も存在するってことを感じた。そんな奴らに勝負を挑んでも、何の得もない。

 

 言語化することと、消えない罪

そういうわけで、心の傷がすこしずつ回復しつつある今、これまで抱いていた極度に強い負の感情を何とかうまく言葉に変換して説明してみるなら、以上のようになると思う。

しかし、たとえどんな背景説明や客観的解釈が与えられたとしても、あの教員とスタッフたちの罪は微塵も薄らぐものじゃない。一人の学生を笑いながら虐待して排除し、そのあとに本人がいないところで残された学生に対して「彼はここではやって行けなかった」と高らかに、正義感に溢れる「リベラル」の笑顔と「公平性」でもって宣言するあの教員とスタッフたちは、その被害者がどんなふうに乗り越えて行って言語的に消化をこなして行っても、その罪は決して無くならない。もしこれに疑問を呈する人がいるなら、極端な例やけどホロコーストのことを考えれば良い。ホロコーストが、官僚機構の合理的な組織機能的特性と、そこに属する個人個人の職務への責任感との二つに還元して説明されたとしても(バウマン『近代とホロコースト』)、その罪への責任がなくなるわけでは全くないというのと同じや。

僕は結果的にはこうやって辛い経験を乗り越えていくわけやけれども、その途中で、まだ負の感情に支配されてる時に、何人かの人から「そんな風に悪く言っても何にもならない、乗り越えていかなければ」とかいうことを言われた。その人たちは、虐待されて傷つき瀕死になっているという状態が、本人の経験としてどのような悲惨なものであるかを全く分かっていない。そして、おそらく分かろうとする気持ちもない。内面的な共感のないまま、そうやって“正当”で“前向き”な言葉をかけることによって、そういう人たちが結果的に行なっているのは、虐待をした人間が社会的にのうのうと存在し続ける現状を肯定することに他ならない。つまり、そういう良い人ぶった“励まし”は、虐待をした張本人たちの罪と同質の罪やと思う。程度は小さいにしても、質的には同じものやと思う。

しかし僕自身も、仮に知り合いとか友人がそんな状況に陥ってたら、全く同じような“励まし”をしていたかもしれないと、簡単に想像することができる。きっとしていたと思う。非常に残念なことやけど、この類の心の傷やそれに伴う負の感情というのは、一度経験しないと分からへんのかもしらん(そして、自分の経験したのと違うものは、自分のに引きつけて考えてしまう)。その傷を「乗り越えよう」と軽々しく言った人に対してその罪を弾劾するときは、自分の中にもある同じ罪を弾劾するようにしたい。

ただし、例の教員とスタッフのような虐待行為は、自分は死ぬまで決してしないつもりやし、したらあかんし、それを自分の中にも眠ってる罪やと思うことは決してない。あれはほんまに異常や。アメリカは腐ってる。

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