なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

ベトナムの友人と桜木町で飲み交わした(昨日の)思い出

7年来の友人であるベトナム人女性と、昨日、数年ぶりに会った。ベトナム人と聞いて、多くの人は何を思い浮かべるやろうか。近年急増している留学生、コンビニの店員、技能実習生。ベトナム戦争。旅行と、フォーと、バインミー

その女性は最近、2冊の小説を出版した。合計で8000部刷られたといった。日本で8000部というと、私家出版のようなごく小規模な本という位置づけになるけど、それは日本が世界的にも稀有な出版大国やからにすぎない。例えばジュンク堂のような巨大書店チェーンを、日本以外の国で見かけたことがやろうか。たまたま目につかないのではなく、欧米ですらそれは存在していない。ましてあらゆるものが発展途上のベトナムで、8000部刷られれば立派な一流の本と言える。

僕は知り合った当初から、彼女が目を見張るような独特な人間であることに魅了されていた。女性は決してタバコを吸わないあの国で、彼女は僕を職場のソファに座らせるなり堂々とタバコを取り出し火を点けて、ひとしきり煙を燻らせてから初めて口を開いた。「で、どういう話が聞きたいの?」。僕は当時、交換留学生としてベトナムに滞在していた。研究テーマの資料集めで彼女のところにたどり着いた。僕は出されたお茶をすすりながら、タバコを吸う彼女を眺めていた。

彼女は漢字を読めて書ける。日本語と同じように、ベトナム語の語彙の多くは中国語由来である。でも現代のベトナムはアルファベット表記を採用して半世紀以上が経ち、普通の市民が漢字を書けないどころか、お寺の掛け軸すら日本人の肥えた目にはお粗末に見える。そんな国から政府の研修で日本へやってきた彼女は、僕が「今日は月食だ」と言えば、李白の詩を送り返す。「床前明月光, 疑是地上霜。 舉頭望明月, 低頭思故鄉。」日本に来て一人で月を見ている私にぴったりの詩だ、と。

彼女は1974年生まれだという。ベトナムにとっての20世紀は休む暇のない激動の連続で、1974年以降もまた同様やった。1976年に長い長い戦争が終わって国が統一されたけれど、その主体となったのは共産党政権で、本格的な社会主義政策が人間の生活に押し寄せた。1980年代には限界に達し、1990年近くになってついに市場経済制度が導入される。その15年間の中に、彼女の幼少期と青春時代がすっぽりと収まる。市場経済の到来と同時に、彼女は大人になった。

彼女の幼年時代は、本当に赤貧を耐え忍ぶ生活やったらしい。物資も食料もない。もともとはベトナム中部の地主として豊かな家系でありながら、共産党政権が急進的な土地改革をやった際に資産は全て取り上げられた。彼女は幼少期、一ヶ月の間たった一着の服だけを来て過ごしたという。そんな生活しか知らない子どもにとっては何も辛くなかったけれど、思い返せば父母が気の毒だという。子どもに満足な暮らしをさせてあげられず、本当に辛い思いをしていたに違いない。ベトナム人は戦争の時代を耐え忍び、やっと大国から勝利を勝ち取ったと思ったら、今度は自分たちの政策の間違いが生み出した困窮を耐え忍ばなくてはいけなかった。本当に辛かった。

僕の仕事やこれからの人生のプランについて話題が及ぶ。僕がアメリカからすぐに帰ってきたことを、彼女は知っている。アメリカはえげつない国やった、と自然に話し始めると、彼女は彼女なりに理解を示してくれる。「知ってるよ」、たしかにアメリカ人やヨーロッパ人は、自分たちが最も優秀で正しいと思っている。彼女は建築士としてベトナム政府の研究所で都市計画を行っていて、もう何十年もの経験と知識がある。でも外国の大学に研修に行ったりすると、現地のヨーロッパ人は彼女を必ず見下すという。一人のベトナム人専門家と一人のヨーロッパ人専門家がいて、ふたりとも同じことを言っていたとすると、ベトナム人の言葉にはみな半信半疑で耳を傾けるけれども、ヨーロッパ人の言葉には納得して頷く。同じことを言っているのに。ベトナム人自身さえも、外国人アドバイザーは実際には何もしないのに、ただその人がチームに入っていることで安心する。

何かの拍子に、「でも」、と彼女は言う。「ベトナム人だったら、きっとどんなに辛い経験をしても、耐え忍んで耐え忍んでやり抜いたと思う」。

日本語ですら表現が難しい上にベトナム語能力の制約もあり、彼女に対して僕は、アメリカでの経験や感じたことについて、全てのニュアンスを伝えきれていない。伝えきれていないまま、「あなたには耐えられなかったけど、ベトナム人なら耐えたと思う」と言われることに、本来なら声を張り上げて真っ赤になり怒っていたやろう。でも彼女の話す幼年時代の思い出があまりに悲惨で、またそれは歴史の本で読んでよく知っていることでもあるので、覚えず僕は素直に言ってしまった。「そうかもしれない」。ベトナムの歴史を知っていると、自分がつらい経験をしたなどとは、簡単には言えなくなってしまう。この世でこれ以上辛い歴史を経験することなどないんじゃないかと思えるくらい、ベトナムはパーフェクトな辛苦を生きてきた。ヨーロッパの大国フランスに植民地化され、アジアの帝国日本に占領され、20世紀の世界帝国アメリカに焼き尽くされ、それらを根気強く順番に打ち破ったかと思ったら、今度はユートピアの思想である共産主義が壮絶な貧困をもたらした。こんな国が他にあるやろうか。

その歴史は、ベトナム人の鼻持ちならない自信にもつながっているように思う。その一方で、ベトナムはときに極度に柔軟な性格を見せることがあって、観察者を混乱させる。東南アジアで正式にLGBTを容認した最初の国であり、アメリカが抜けた後のTPPを声高に推進する奇妙な社会主義国でもある。だからといって、ベトナム社会主義でなくなっていくわけではない。これからも長らく、社会主義共和国であり続けるやろう。

ベトナムへの興味は絶えない。何とかして、ベトナム研究をやる道を見つけたいものである。

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