なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

シェアハウスを通り過ぎる

僕が居間でパソコンを叩いていると、テレビを見ていたハサンが僕の向かいの席に移動してくる。それを僕が視野の端で観察していると、彼はテレビと僕とのちょうど中間あたりに視線を向けて、ほとんどそのまま固まった。話しかけたいのだろうか?

「今日はバイトどうだった?」

僕から水を向けると、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりだ。

「old manが来て。嫌なヤツだった。ボスに苦情を言いやがった。俺は普通に仕事しているのに。ba***rdだ」

ハサンはトルコ系のイギリス人で、ワーホリで日本に来て1年近くになる。イトーヨーカドーで働いている。ハサンの接客の声がたまたま聞こえなかったold manが店長に苦情を言い、ハサンはいわれのない注意を受けた。

「日本人だから、というわけじゃない。イギリスのユニクロにもいた。どこでも起きることだと思うけど。でもあいつはba***rdだ」

ハサンは人生のあるとき、自分のルーツであるトルコが、日本という国との間に文化的・人種的な繋がりがあることを知った。ロンドンのユニクロで働き、Japan Centre(ロンドンで有名な日本食料品店)で働き、「イギリス人は誰も応募しないから簡単に取れたよ」というワーホリビザで日本に来た。沖縄で土産物を売り、東京に来てこのシェアハウスに住み、そうして今、僕の向かいに座っている。

日本に住みながら見聞を広めてみると、トルコは中央アジアと繋がりが深いということを発見した。モンゴル語にはトルコ語と共通の語彙がある。中国には昔からトルコ系民族が侵略を繰り返した。モンゴルに行ってみたい。中国に行ってみたい。でもお金がない。働いて貯めないと。ハサンは今も、中退した大学の学生ローンを少しずつ返済していた。

ハサンは、日本滞在を延ばす方法を真剣に探していた。最大の問題はビザで、ワーホリの1年ビザが切れたあとも滞在するためには仕事が必要だ。ハサンは日本語がそこそこできるし漢字も読めるので単なる旅行者よりずっと情報を持っているはずだが、それでも難しいらしかった。大卒でないため、日本語を極めるのでない限り正社員の職が見つけられないとしても、不思議ではない。それでも情報へアクセスできれば少しでも変化があるかと思い、僕はいろいろアイディアを出した。兄の会社も紹介した。もっとも手っ取り早い職であろう英語教師についても、彼はすでにトライしていたが、改めて求人応募してみるよう勧めた。

「ba***rdだ」

その日ハサンは、old manに煮えくり返っていた。

僕はまた仕事探しを勧めてみたが、ハサンはイトーヨーカドーの職場が嫌いというわけではなかった。斉藤さんという初老のフロア責任者がいて、良くしてくれる。「サイトウサンは良い」のだそうだ。「オバアチャン、サイトウサン、かわいい」と、楽しそうに話した。可愛い老女がこの世にいることは、僕もよく知っている。

それでもイトーヨーカドーは正社員になれないから、ビザは出ない。ハサンはその日からまた、食卓でノートパソコンを覗き込み、仕事を探しているようだった。

 

シェアハウスには、マレーシア人の若いカップルがいる。明けても暮れても、居間のソファに並んで座りノートパソコンを二枚開いて、ネットゲームをやっている。日本語学校に通っており、4月から大学に入学したいのだという。日本語学校のテスト前には、パソコンの横で教科書を開く。ネットゲームは対戦相手とチャットで会話しながら、音声もつないで声でも会話する。

「チャットか音声か、どちらかだけではダメなの?」

僕が思わずそう訊くと、男の子のほうが

「ははは、そうだね。クレイジーだから」

そういって楽しそうに笑い、またゲームに没頭した。

チョウというその男の子は、父親と頻繁に電話をしていた。彼女と付き合っていることを、お父さんはあまり快く思っていないのだという。チョウ君も、彼女に厳しかった。

 

old manに煮えくり返った日から数日が経った。ハサンが仕事から帰ってきた。玄関の扉を開けて、居間圏キッチンの広い空間を、まっすぐに歩く。歩きながらいつも首を少し傾けているのは単なる癖だろうが、話しかけない限り僕たちと目を合わさないのは、それが彼なりの共棲術であるに違いない。

スーパーの値引きフライドチキンをレンジから取り出し、食べ始める。それを見ながら、僕が話しかける。

「仕事見つかった?」

すると、思いがけずハサンは僕を直視し、答えた。

スカイプで面接を受けることになった」

英語教師の仕事だという。ほら!やっぱりあった!よかったじゃないか。ハサンも少し興奮しているのが分かったが、感情の扱いが苦手な人だった。視線がすこし泳ぎ、声には力が入っていた。

「まだわからない。単なる面接だから」

どんどん受ければいい。面接は翌日の午後だという。

翌日の夜、僕が帰宅すると、ハサンが食卓でパソコンを見ていた。面接はどうなったのだろうか。僕は居間に座り、パソコンを開いて仕事をする。

横目でハサンを見る。普段どおりにも見えるし、何かがあるようにも見える。

ハサンが立ち上がったときに、思い切って訊いた。

スカイプ面接はどうだった?」 職場見学に招かれた、だろうか。そんなことを予想しながら訊いた。

ハサンはキッチンの中央に立ち止まって、目をカッと見開いて僕を直視した。

「受かった。受かった」。静かだが、明らかに興奮していた。

受かった!? 面接一回で、すぐに受かったのだ。正社員でビザが出ることを前提に求職していたから、これはつまり採用されてビザが降り日本滞在を伸ばせるということだ。おめでとう!!

「仕事はどこで? 御茶ノ水? 新宿?」。僕も興奮していたので、何から言えばいいかわからず、とりあえず職場の場所を訊いた。なぜ御茶ノ水が最初に出たのかわからないが、英語学校と言えば御茶ノ水のような気がした。

「ペキン」

‥‥え? 北京?

「ペキン。そう」

ハサンは唐突に言って、それから繰り返した。目は相変わらずカッと見開かれ、興奮していた。

僕は甲高い声を上げて笑った。

え? 東京じゃなかったの? 日本じゃなかったの? 北京なの? 中国に行くの?

宿舎付きで、ビザも出るらしい。外国人を英語教師としてたくさん採用している学校で、ウェブサイトもそこそこちゃんとしている。

すごいじゃないか!中国に行きたいって、言ってたじゃないか。

それで、受かったから北京に行くの? その仕事をやるの?

「まだ考えているけど、多分行くと思う」

おい。すごいな。

僕は俄然、北京に行くことを応援した。新しい人生が開けるかもしれないし、なにより仕事がもらえて給料が入り、しかも行ってみたかった北京だ。モンゴルにも近い。

「もう少し考えるよ」。ハサンは適切な程度に慎重だった。

 

その場にはチョウ君と彼女がいた。二人はハサンと僕の興奮した会話を余所目に、淡々とゲームをこなしていた。

ハサンが寝室に戻ってから、僕はチョウ君に話しかけた。

「北京に行くって、すごいよね」

チョウ君は興奮していなかった。

「ちょっと、怪しいと思う」

面接一回だけですぐに採用、という簡単さを訝っていた。

それはもちろん、まっとうな感覚ではある。でも、イトーヨーカドーでビザ満了まで働いて、イギリスに帰って、それでまたスーパーの店員の仕事を探すのと、怪しさを押して英語教師として北京に飛び込むのと、どちらがいいだろうか。

チョウ君は興味なさげに、またゲームに戻った。

いずれにしてもハサンが決めることだ。

 

翌日のハサンは、北京に行く方向に傾いていた。

しかし翌々日あたりから、やはりやめると言い出した。

「母さんがカンカンに怒るから」

日本に来るだけでもすでに母親に猛反対され、それを振り切ってやって来た。いま、前触れもなく突然「今度は中国」などとなれば、

「アンタ、ナニカンガエテンノ、バカヤロー! となるに決まっている」

という。母親の真似をするハサンは突然に饒舌で、母親への愛情が溢れている。

「僕にとっては家族が大切だ。いいチャンスだったかもしれないけど、母さんに言えない。無理だ。トルコ人だから」

トルコ人の家族愛は深くて、ネバネバしている。母親の反対という話はこのとき初めて耳にしたが、これまで何人ものトルコ人と付き合ってきた僕に違和感はない。

やめると言い始めてからは、辞退する意思が急速に固まっていった。

 

突風のように巻き起こった北京行きは、夢と立ち消えた。

それまで日本趣味やモンゴルへの好奇心を語っていたハサンは、ぽつりぽつりと、家族がどれくらい大切なのかを話すようになった。自分にとっての優先順位に、改めて気づいたというふうだった。

「なんにしても、自分にとって何が大切なのかをしっかり考える機会になって、良かったね」

僕がそう言うと、あながち否定もせず、黙って首を揺らした。縦とも横とも取れなかった。

 

ハサンは子供が好きだということで、後日、東京の英語教育幼稚園の仕事に応募して職場見学に行ったが、自分のイメージと合わず辞退した。「体験勤務」の位置づけと彼の辞退について、雇用者側と少し揉めた。

イトーヨーカドーを辞めるときには、「来週書類に判子を押して、それで辞めになる。ハンコを押したらもう引き返せない」「明日押す」「今日押す」と、何度も僕に話した。ハサンにとってはイトーヨーカドーが、日本との繋がりそのものだった。仕事を辞めれば収入がなくなり、涙のような貯金が尽きる前に、早々に立ち去らなければならない。

 

チョウ君と彼女は、無事に大学に合格した。しかもチョウ君は面接の印象が良かったらしく、奨学金付きの入学だ。おかげでバイトを始める必要がない。彼女だけが居酒屋のバイトに出かけていくのを毎日見送り、帰ってくるまでに手料理を作る。日本語学校から卒業したため日本語の勉強をする必要がなくなり、ゲーム漬け生活がますます亢進した。

二人は同じ大学に通うのだが、チョウ君は「彼女が甘えすぎ」だから、互いの住まいをわざと離れた場所に取った。一緒に住むことはそもそもお父さんに禁止されているのだというが、住まいを離したのはチョウ君自身の判断だった。

 

 

ハサンは、ロンドンの以前の職場であるJapan Centreに連絡し、帰国次第また復職できることになったのだという。

帰国がかなり近づいてから僕は、ハサンが漢字マニアであることを知り及んだ。自分の漢字ノートを持っており、気に入った漢字を何百回、何千回と書写してひたすら練習していた。だから僕はロンドンで日本語を教える仕事を探してはどうかと強く提案したが、ハサンはイメージが持てず、首を縦に振らない。

彼の書く漢字は日本人顔負けで、少なくとも僕よりもバランスが取れて上手だった。極めて複雑な漢字も熟知していた。驚異的だ。できれば、なんとかして日本に残って欲しかったが、それも仕方がない。

今度はモンゴルへ旅行に行けばいいよ。僕が励ますと、ハサンは

「お金を貯める」

と、静かに言った。

 

以前から僕とハサンで話題にしていた近所のウイグル料理屋に、シェアハウスの住人たちで食べに行った。送別会だ。美味しいのかどうか未知のままで飛び込んだが、思いがけず絶品が出た。

ウイグルは、中国のトルコ系民族だ。店長とも、トルコ語が少し通じた。

f:id:momoish:20180218202230j:plain

 

3月、ハサンとチョウ君たちは、ほとんど同時にシェアハウスを発った。

成田空港までの電車賃を心配してしまうほど、ハサンはギリギリだった。いまはJapan Centreで働き、次のアジア行に思いを馳せていると願いたい。

 

本ブログは、Amazonアソシエイトプログラムに参加しています。Amazonアソシエイトのリンクから商品が購入された場合に(Amazonから)紹介料を得ています。ただしアソシエイトリンクは書評的な言及の際のみに留め、かつ逐一明記しています。単なる言及の際は通常リンクを貼っています。