なんだかんだで、まだいます

人類学をやり続けるしつこさには定評がある

人間の顔をして博士号を持った、コミュニケーションを生業とするプロの悪魔たち

ちょっと信じがたい話を書きます。

これまで周囲の人に「ほんまか?」と言われてきたのも、ある意味当然で、その人たちは悪くない。

取ってる3つの授業のうち、D先生の授業は、特に読み物の負担が大きくて全く手に負えない。しかし仮に読み物が全部はできてなくても、実際の評価対象である課題さえ何とか帳尻を合わせられれば、結局学位プログラムとしては形になるんちゃうか。というか、これまでの人生はきっとずっとそうやって生きてきたんやろう。そう考えた。そこで、10月の学期中間時点でのミニ課題を提出した後の面談で、その旨を述べた。「だから、ミニ課題の出来がどうだったかのを教えてください」と。

この時点でD先生はすでに、僕が読むのが極端に遅くて苦しんでるっていうのは知らされていたし、さらにその流れで鬱っぽくなってるっていうのも、知らされていた。その上で、この先生が言ったのは、「重要なのは課題がよくできてるかどうかではありません。重要なのは、読み物を読めてないから、それが理由でこのコースワークから学べていない、という事実です」。人が障害のような症状を持ってて、それを何とか克服しようと頑張ってて、でも出来ていないことを誰よりも自覚してるからこそ鬱が出始めてる、っていう時に、「あなたは学べていないですよね。それが重要な事実ですよね。」と指摘することに、何の意義があるんやろうか。それを、面談の1対1の重みのある会話の中で、わざわざ言葉を探してこちらの心に刺さるように的確な表現で述べることに、何の意義があるんやろうか。

さらに、この同じ面談の中の、この会話の直前のやり取りでは、その面談のすぐ前に行われた授業中に僕が力が出なくて机に顔を横たえたり目を閉じたりしていたことを指して、「今日寝ていましたよね。そういったことは、正直に話さないといけないので」と。いえ、鬱っぽくて力が出なかったんです、顔を埋めたり目を閉じたりしてましたが、聞いていました。そう言い始めたが早いか言い始めないが早いか、泣き崩れてしまった。自分の中で起きている現実の出来事や感覚と、目の前のこの人から見た解釈の中での僕の人格や気持ちとが、あまりにも乖離している。苦しんでいる結果どうしよもうなく起きてしまった出来事を、この人は特筆すべき怠惰な行動やと解釈している。

ひとしきり泣いた後に、ちゃんと説明して、気を取り直して現実的な会話をしようとした。そうして出てきたのが、上の「学べていないという事実」という発言。この人は、人間ではないんじゃないか。人間の顔をした悪魔なんじゃないか。

この面談があってから、この人の授業に行くのがほんまに辛くなった。行っても、この先生の顔の方を見られへん。ずっと下か、横か、上を向いてる。自分は間違ってないし、間違ってるのはこの人やけど、自分のできていないことを怠惰やと責められたり、十分に頑張っていないと疑われたりすると、不思議と自信を失う。自信を失ったんか?それすらもよく分からん。いずれにしても、この人の顔をもはや直視できひん。もしかしたら、この人に対する不信があまりにも積み上がりすぎて、自分の心がこの人とのコミュニケーションを拒否していたんかもしらん。そんな感じがするくらい、どうしてもこの人の方を向けへんかった。

ある週にはついに、この人の前に現れること自体のプレッシャーが強すぎて、教室にたどり着くまでの道の途中で立ちすくんだまま1時間動けず、諦めて欠席した。夜になってからメールで欠席の理由を説明したら、この人の返事は「そんなことが起きたなんて、恐ろしいです。あなたは、保健センターのカウンセリング・心理学支援サービスをもっと受けなくてはいけません」。カウンセリングサービスを、もっと受けなくて受けなくてはいけません…?人間の心理というのは、凝ってる背中の筋肉みたいに、マッサージを受ければ受けるほど良くなるようなものではないんです。週に1回いけば必要十分やし、それでもこういう辛い出来事は起きるときは起きる。起きたからといって、その時にカウンセラーのところに話に行くようなものでもない。帰って、ゆっくり休んで、心の落ち着きを取り戻すことしかできひん。この人は、人間の心理を、点滴を打って直すようなものやと思ってるんやろうか。ほんまに人間の気持ちがわからへんねんやこの人は。人間の顔をした悪魔なんや。

これと同時に、学期末の課題に対して何を書くかというトピックの提案を、自分からこの先生に対して行なっていた。その提案についての面談でも、この先生は「これは抽象的すぎます。どういう価値があってこの提案をしているんですか?どういう議論がここから生まれてくるのか、見えない。今のあなたの説明を聞いても、あなたが何もアイディアがない("you don't have idea about the proposal"=「プロポーザルについて、あなたは何もわかっていない」)ということが分かりました」。授業までの道のりで1時間立ちすくんで動けなかった、という話を聞いた直後の文脈で、こういうことを眉をしかめて言う。何のために?

この人は、人間じゃない。悪魔です。しかも単に悪魔なんじゃない。悪魔の発言と行動によって、僕のことを追い詰めようとしている。

別の授業のL先生。この人は学科長。D先生の顔を直視できなくなってからしばらく経ったころ、おそらくD先生から「最近彼、授業でも全然集中できないです、全然ダメです」とでも聞いたんやろう。ある日突然L先生からメールが来て、「明日面談に来てください。まだオフィスアワーのスロットが空いています」。教授の方から学生に対して、面談にこい、と言うことはかなり異例。しかも「明日」すぐに、「時間」まで指定して。行ってみると、ニスやワックスや漆やカラメルを塗りたくったような、要領の得ない曖昧で回りくどくて長々とした講話。でも要するに、全体として浮かび上がってくるメッセージは、「最近ダメよね君」。最近ダメって、あなたの授業ではちゃんとしてるやん。何を急に、どこかの誰かに吹き込まれたみたいに急に連絡よこして来て、根拠もよくわからんような曖昧なことを言ってるんですか?「だれかに言われたんですか?」と言っても、「いえ、私自身の考えです」。嘘つけ。確かに別の授業では教員の顔を直視できてないですよ、とは、言わなかったけど、「相対的には、あなたの授業はかなりちゃんとできています」と言ってやった。「相対的に」を2回も言って強調したのに、そこの意味を深掘りしてこうへん。すでに知ってるから、わざわざ聞いてこうへんのやろ。

最後にこちらから「以前から話してる障害支援室とのやり取りの件、どういう結論が出るか分かりませんが、結論に応じた現実的な選択肢を対応させて考えています」と言ったら、なんども頷いて納得した様子。要するに、それが言いたかったんやろう。要するにD先生と同じで、「あなたは勉強できてないから、ここでは続けられないと思うよ」、と言いたかったんやろう。曖昧すぎてアホらしいから、こっちから言ってやったわ。

この後にL先生は会議があったようで、会議の担当者がドアをノックして入って来た。「さきに横の部屋に入っています」と。このL先生、重苦しい雰囲気の真面目くさった人で、若いアメリカ人みたいにキャーキャー言ってハグとか笑顔とかを振りまくキャラじゃないのに、この会議担当者に対して"I'll give you a hug in a minute."。相手はちょっとびっくりして引いてた。これも僕に対しての(裏返しの)パフォーマンス。君以外の人には、こんな優しいんですよ、君には冷たくしてるんです、早くいなくなって欲しいから、というメッセージ。別の日にたまたますれ違った際も、明らかに一瞬こっちを見たのに、まるで気づかんかったかのように無視。

この同じ週の木曜日には、学科の3年生のフィールドワーク計画のプレゼンがあった。訳あって出席できなかった。その日の夜、この先生からわざわざご丁寧なメールがあった。僕が鬱に苦しんでること(=illであること)を知った上でのメール。

Dear ****,

I didn't see you at ****'s proposal presentation this afternoon. Perhaps you were in the room today and I failed to notice, in which case I apologize. If not, I'm writing to encourage your attendance. The email that **** sent everyone (below) lists three more that will happen tomorrow. Unless one is ill, everyone is expected to attend (as the Graduate Program Guidelines, which you received at the beginning of the year, described for first-year students).

The faculty consider all invited departmental talks to complement coursework by expanding students' awareness of anthropology and related fields beyond areas of departmental faculty's special competence. Third-year students' proposal presentations -- like the three presentations scheduled for tomorrow -- are of special importance for several reasons.

First of all, they give first- and second-year students a realistic understanding of what preparation for dissertation fieldwork entails.

Second, they are opportunities for you to get to know the kinds of advice that faculty offer to students. That advice is often applicable to your own future projects and hearing it may help you to decide which faculty members to work with next year.

Finally, giving and receiving advice among students is an important form of reciprocity: proposal presenters benefit from the advice of everyone in the room -- first-year, second-year, and more advanced students all have valuable suggestions to offer -- and all students in the room will take (or have taken) a turn to present their research proposal for comments.

I hope to see you at these events tomorrow.

この話を人にすると、「単に仕事として学生を参加させようとしたんじゃない?」とか、「病気って知ってるからこそ大丈夫か確認したくてメールしたんじゃない?」とか、言われます。

そんなこと、ありえない。このメールのどこに、病気であることを心配する要素がある?参加すべきである理由を、ガイドラインの引用まで行いつつ述べることは、心配するどころか単にプレッシャーを与える以外何者でもない。そしてそのプレッシャーこそが、まさに鬱の根本原因であるということを、この人は既に僕からよく知らされている。全く逆です。

プレッシャーを与えて僕を追い込んで、自主的に履修を諦めさせる、そういう目的しか、このメールの裏にはないです。事実、僕と同時にこのプレゼンを欠席した他の同級生3人のうち2人に確認したところ、こんなメールは全然来ていないとのこと。呆れて言葉が出ない。

このLとDのコンビは、本当に、隠喩でも直喩でもなく、本当に悪魔です。この人たちは、仮に僕が面談を密かに録音したとしても何のすっぱ抜きにもならないように、事実しか述べない。しかし、事実を、ある特定の文脈において特定の言い方で述べることによって、僕の精神状態を崖から突き落とすことができる。人類学者は、コミュニケーションのプロみたいなものです。その能力を、こんな風に使うなんて。これは一体何なんや?開いた口が塞がらへん。

僕はこんな人たちが暮らしている世界でやっていけるとは到底思わないし、頑張る価値すらないと思う。残念ながら、おそらく文化的に僕のことが気に食わへんかったのと、そもそもアジア人に対する偏見(人種差別)があるやろう。僕がズルをしているもしくはズルして来たと、根底で疑ってるんやろう。

ほんまに信じられへん。信じられへんけど、残念ながらこれが現実です。この国にはほんまに失望した。

 

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